2013年7月23日火曜日

歴史の穴

先日のARTOROで炎天下を歩きつつ「何故日本は馬車がないのだろう」と疑問に思っていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%BB%8A

というのも日本は東海道を初めとして五街道がしっかりと整備されている。
それで居て伊勢参りや東海道五十三次などの話から見ると移動がそこそこある”らしい”。

だったらあってもおかしくないのに...何故?

文化的に乗り物が無いのかと考えたけど、人が担ぐ籠があった。
馬が無いかと言うと急ぎのときは早馬を使ったようだし、馬の産地も別に少なくはない。

車輪の導入が遅れていたのか?と考えもしたけれど、大八車などがあった。
ちなみに江戸時代でよく見られた大八車の原形は平安時代には登場しているようだ。
となると技術的にも文化的にもなんら問題がないはず。

そして何より平安貴族は「牛車」に乗っていたから思いつかなかったわけがない。
なのに何故歩くことを選んだのだろう、非常に不思議だ。

これと同じように疑問なのが棍棒という武器。
ゲームをやると良くわかるのだけど、物語序盤を支えてくれる大切で原始的な存在だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%8D%E6%A3%92

日本は森林資源の豊富な国家であることは間違いない。
木造文化もあるし、材料には事欠かない筈...なんだけど、あまりコレと言った印象がないのだ。
一番近いのは棒術で使うものだけど、武器のジャンルとして考えるとClub(棍棒)というよりStaff(杖)に近いと思う。

歴史的にも地域的にも「あっておかしくない道具」がない。
素材的にも文化的にも「手に入りやすい武器」がない。
本来なら「あるはず」のものがない。

この違いは何故起きるのだろう。
歴史の穴というのがどこかにあるのかもしれないけど、不思議で仕方がない。

そう言えば確か第三回の中で「登呂遺跡では武器が見つかっていない」という話があった。

発掘されているのは農具のみ。
争いが少なかったんじゃないか?という話になったけど、よくよく考えてみると農具は武器になる。
硬い素材を使っているし、日常的に触れるものだから扱いに慣れやすい。

だとすれば農業の規模=兵力と素直に考えても良いのかもしれない。

トランプのClubは農民を表すくらいだしね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96_(%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB)

しかし馬車は..どうも日常で代わりとなる存在が見当たらない。
一度は船とも考えたのだけど、山間部も多く流れが急な日本では成立し辛い。
海を行くとしても「多くの中の1つの手段」として捕らえたほうが妥当じゃないだろうか。

もし馬車があれば日本の街並み、発展は大きく変わっただろうに。
同時に車や移動、作業に対する考え方も今とは違ったものになっただろうなぁ...

2013年7月14日日曜日

鉄道事故

フランスで鉄道事故が起きたらしい。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00249852.html

炎天下の飴のように捻じ曲がる車両を見て、その衝撃の大きさを感じる。
私も機械を触る人間の端くれだから、今回の事故を反面教師にしないといけない。

ふと福知山線を思い出した人も多いんじゃないだろうか。

日本で起きた痛ましい事故。
思えばあの日、祖母が広島から大阪へと引っ越す日だった。
家族の中で「もしかして...」という恐怖が走ったのをよく覚えている。

結局事故からは回避できていて一安心。
もう亡くなってしまったが、最期の寝顔が綺麗だったことは喜んでいいのかもしれない。

確か日本もフランスも高速鉄道の輸出をしている。
だからあの時も、今回についても広がる衝撃と言うのは大きく強いものだと思う。

新幹線でもTGVでもない。

ただそれらを支えている技術であることは間違いない。

それを考えていたら精密機械ほど壊れやすいということを思い出した。
調整もこまかく行っているし、校正も掛かっているから非常に正確な数値が出せる機械。
しかし一度狂うと「取り返し」がつかなくなってしまう。

もしかすると鉄道輸出国のフランスと日本とを繋ぐものはこれなのかもしれない。

設備はもちろん、人も消耗するものだ。
より精密な管理は必要だけれど、もし飽和しているのであればいつ事故が起きてもおかしくない。
努力が逆に管理できない、予期できないものを見過ごしてしまう可能性も増える。

顕微鏡で大きな物を眺めているような感じだろうか。
それでは全体像に見えるどこかの狂いが察知できない。

一度設備に対して多くのものが「適正かどうか」を確かめなくてはいけない。

それにはアクセルを緩め、ブレーキをかける勇気も必要になる。
ただそれが出来るのが経営責任者だけなら、それを決断するのも彼らの仕事だ。
水のように湧き出た金を飲み続けるのは詐欺師に任せておけばいい。

私は私でこの事故を受け止めて、色々と教訓にしたいと思う。
そして願わくば「エンジニア」という存在について、もうちゃんとした少し目が向けられたら...と。

2013年7月12日金曜日

ARTORO参加記録 第三回目検地

今月のARTOROは「田んぼの面積を測ってみよう」ということでまずは田んぼへ向かいました。
http://toro-museumshop.jp/artoro

...しかし暑い、暑い、暑い、暑い。

今年の夏は本気で我々を殺そうとしてますね。
それほどまでに日差しは強く、照り返しはきつく、風も吹かずに体力だけを削ってくれました。

で、田んぼで検地。

今回出されていた宿題は「1歩を60cmにすること」でした。
でも色々あって考えて煮詰める余裕が無かったので勘に頼りました。

大体廊下の幅が83cmだからドアがこれくらいで...肩幅と比べると...

とか言いつつ、側溝の蓋を参考にしたのはナイショです。
http://www.maruei-con.co.jp/catalogue/015/007_jis.htm

検地が終わったら登呂遺跡に帰還。

途中の公園で子供が汗だくな私たちが列を成して歩いてるのを面白そうに見ていました。
多分彼女たちから見ると蟻と変わらなかったのかもしれないですね。

帰還してからはこの前植えた水田も検地。

田んぼの中にはデカい貝、おたまじゃくし、ザリガニなど色んな生物が居ました。
どれも外来種らしいんだけど、まぁ普通の都市圏で1万年前の環境が残ってるなんてことはないですからね。
これもある意味では自然の1つの形なんじゃないかと思います。

ザリガニで少し盛り上がってからは発表会。
...なんですが、何よりエアコンの素晴らしさに脱帽しましたね。

VIVA、文明の積み上げ、文明の利器。

発表会は初となる討論式?みたいな感じで気になるところを幾つか聞けたので良かったです。

しかしやっぱり移動、輸送などをどうやってたかが気になりますわね。
だってさ、仮にちょっとずつ採ったにしても結構な量になると思うんだよね。
その日の分だけならわかるけど、それだと他の疑問も出てくる。

昔の登呂遺跡はもっと川辺だったから船が一番確率高いはずなんだけどなー。
なんも論拠も証拠もないのが痛いところだ。

そう言えば炎天下を歩いていてふと疑問に思ったんですよ。
日本は街道がある程度整備されてるのに何故馬車が定着しなかったんだろって。

ある程度文明の発達していた江戸時代なんかも基本的には徒歩。

車輪が無かったのかと言うとそうではないみたいだし、平安時代には牛車もあった。
なのに何故そういう考えが出てこなかったのか、もしくは定着しなかったのか。
それとも別の何か、代わりとなる存在があったのか...?

ただその存在があれば、色んなものが今とは大きく変わってたのかもしれないですね。

町の作り方とか、人の動きとか、農業についてとか。
ちょっと新たに思考を巡らせて見ようかな、と思った第三回でした。

ビィールで乾杯

毎日JPにこんな記事が載っていた。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130628k0000m070099000c.html

公開期間が越えてると見れないので解説するとこんな感じ。

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昔、福沢諭吉が「西洋衣食住」という本で酒について語っていた。
その中でビィールについて少し詳しい文があり、そこではビィールの苦味について語られている。
多分諭吉さんは日本の夏とビィールの相性の良さに衝撃を受けただろう。

近年若者がビィールを「苦い」と言って飲まないが、指導したい。

若いと苦いは似てるだろ。
年取ってこの美味さを理解できるようにならなきゃいけない。

じゃぁいつ飲むか?今でしょ。

きっと迷惑がられるだろうな。
若いときはこの苦味と向き合うのが大人の儀式だったのにな。
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...怒られないようにかなり端折ってます。

言いたいことは良くわかりますね。
私もビールが飲めるようになったら大人!という意識がありました。

子供のころもよく正月に「おうお前も飲むか?」なんて言われました。
試しに泡だけ舐めてみるんだけど撃沈し、苦い子供の顔を見て大人が笑う。
こんな風景はどこにでも転がってたような覚えがあります。

私は悔しかったので特訓しました。
とは言っても酒なんて飲める年齢じゃないですからね。
なんとか身近なもので代用しました。

当時は丁度、缶コーヒーにブラック無糖や微糖などが出始めの時代。
まさに渡りに船でしたね。

もちろん最初は苦痛の連続。
でも「吐き出すのはカッコ悪い」と思って日々飲み続けました。

これと時期を同じくして秋刀魚のワタなどにも挑戦していきました。
最初は大根おろしまみれにして苦味を消し、徐々にワタの比率を上げて行きます。
缶コーヒーと同様「吐き出すのはカッコ悪い」と思い、日々挑戦し続けました。

結果的に現在、ビールもコーヒーも秋刀魚のワタも美味しくいただけるようになりました。
でも「飲めよ食えよ」とはあまり強制したくないですね。

苦手な人は苦手でも構わないと思います。

実際私も全てのビールを受け入れてるわけじゃないですからね。
どうもスーパードライ系の妙な辛口は未だに苦手...
http://www.asahibeer.co.jp/superdry/

逆に好きなのは下のような感じです。

ハイネケン(オランダ)
http://www.heineken.com/jp/home.aspx

ザ・マスター(日本 アサヒ)
http://www.asahibeer.co.jp/the_master/

よなよなエール(日本)
http://www.yonasato.com/

エビス(日本 サッポロ)
http://www.sapporobeer.jp/yebisu/

クラッシック(日本 サッポロ北海道限定商品)
http://www.sapporobeer.jp/classic/index.html

プレミアムモルツ(日本 サントリー)
http://www.suntory.co.jp/beer/premium/index.html?fromid=beer_top_pc

もう少し外国のビールに詳しかったら格好つくんですけどね。
基本的にスーパーに置いてあるものしかわからないのがちょっと残念。

毎日飲むには少し価格のハードルが高いかな...

だから「とりあえずビール」じゃなくて「今日はビール」で飲みます。
基本的に好きなものを美味しく楽しめる分だけ飲む、というのが一番だと思います。
料理も同じで、特別苦手なものを無理して食べる必要は無いんじゃないかな。

興味を持つのは正しいことかもしれないけど、それを押し付けるのは道理が通らない。

選挙

http://agora-web.jp/archives/1547039.html
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選挙は昔から見てるのが好きだけど、いつも疑問に思うことがある。

走りまくる街宣車からは「●●でございます」と名前が聞こえてくる。
でもその人がどんな人で、何をやって、何をやろうとしてるのかがわからない。
今でも大半の候補者はそんな感じだと思う。

それで何を選べというのだろうか?

10年ほど前だけど、近所でやってた某党議員の演説を聞きに行ったことがある。
ちなみに足を運んでるのは私1人だけだった。

その人はチラチラと私を見つつも、さも大勢居る観客に声をかけるかのように演説していた。
目の前の1人に集中して話してみれば熱意とか意見とか伝わるかもしれないのにな、と残念に思っていた。
最後までじっくり聞いていたのだけど、結局終始そんな感じ。

だから某党が芸能人使いたくなる気持ちもわからんでもないんですよね。

それほど政治家さんが人を引き付ける力に長けてないし、そもそもそういう技術が無い。
私がもし選挙出るなら、少なくとも数年は劇団にでも入って色々と習得してからだろうなと思った。

いや、そんな予定は微塵にもありませんが。

確かアメリカは演説の原稿、立ち振る舞い、スタイルなど全てが管理されているらしい。
政治家という1つのチームに対する評価になるため、みんな全力なんだろう。

ヨーロッパはどうなんだろうか。
詳しくし聞いたことも無いのでわからないけど、なんとなく人の資質や考えで選んでる気がする。
なんとなく表現するなら腕の良い技術者を選んでるようなイメージ?

では名前を連呼するのが中心の日本は何を伝えて、何をしていきたいんだろう。
そのために何をしていく必要があるんだろう?

汗を尊ぶのはご尤もだけど、もう少し近代的な考え方になる必要があると思う。
日本の進む「正しい道」はそこにあるんじゃないかな。

2013年6月25日火曜日

ボトルシップ・マン

漠然と「これを作りたいなあー」と思うものがある。
ただゴールの姿は見えてるのに、その道順がわからないことが多い。

なので、うーん...と悩んでしまう。

これはいっぱい考えて、組み上げて、頭の中で出来上がったもの。
それを取り出せなくて苦しんでいる、と言い換えることが出来るかもしれない。
出来上がったものに対しての出入り口が小さすぎるのだ。

多分、頭の中でボトルシップを作ってしまったのだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97

元々部品を素直に外で組めば良いのだと思う。
そうしたら風呂でだって川でだって海でだって船を浮かべることが出来る。

ただ、たまたまボトルの中で作ってしまったからそれが出来ない。

この世の中の多くは、そうしたボトルシップ・マンがいっぱい暮らしていると思う。
私もそのうちの1人だと思うのだけど、組み上げたアイデアをどう頭の中から出すのかで悩む。
簡単に考えると丁寧に部品を外し、少しずつ外に持ち出せば良いはず。

なのだけど、何せ会心の出来栄えだ。
何とかしてそのまま瓶から出せないかと悩んでしまう。

しかもボトルが透明なら良かっただろうに。
これがまた骨に覆われ、皮膚に覆われ、中身が見れないと来ている。
だから唯一の口から、その見事な姿を必死に言葉で伝えようとしてしまうのだろう。

しかし悲しいことにそれでは伝わらないから頭の中だけで孤独な航海を続けていくことになる。

もしかすると町ですれ違う人はみんなそんな孤独な船乗りなのかもしれない。
人というのはなんとも、器用な分だけ不器用であるね。

2013年6月24日月曜日

topgear

先日、相方とtopgearをチビチビと見始めました。
現在シーズン7まで来たんですが、本放送はもう20まであるんですね。

中身が良い意味で「イカレてる」のが凄く楽しい。
実験なのかただの無茶なのか...いや、ただの無茶な実験なのかな。
わからないんだけど、その実験や表現についてちゃんとした基準や理屈があって安心できます。

番組のつくりに必ず驚きと納得の繰り返しがあるのが良いですね。
だからでしょうか、オッサンが楽しそうにヒートアップしてるのを見ててカッコ良く感じます。

メイン司会のジェレミーなんて、ただの偏屈なのにね。

でも変なところは変、ダメなところはダメ、おかしいところはおかしいとちゃんと言ってくれる。
見ていて「どうなんだろ?」って気になるところをちゃんと指摘するから、なるほど!と思える。
もちろん、褒めるときはしっかり褒めるのも良い。

日本のバラエティみたいに冷やかし風じゃなく、真剣にやってるのが素晴らしい。

だから自分のイメージだけでこういう印象になってたんだなって感じることも多い。
逆に考えがあってた!っていうところも多い。

こういう見る側と縁者に共通点が出来る番組はやっぱり売れるよね。

topgearを見た後にスカパーでチラッと見た車の番組があったんだけど...なんかヌルい。
知識がある人が知識がある人に伝えてるというか、知識がない人はおいていかれるというか。
聞いていて「これが言いたい」ってポイントが全然つかめない。

見ていて凄く不思議だった。

だって方や英語の、細かい表現なんてわからない字幕のテレビ番組。
もう一方は自分と同じ日本語を使っているテレビ番組。
普通に考えたら前者に出番はないだろう。

でも言いたいこと、体温がしっかり伝わってくるのは圧倒的に前者だ。

だから面白く感じるのもやっぱり前者だし、また見たくなるのもやっぱり前者だ。

これはもしかすると「外国かぶれ」になった私の偏見なのかもしれない。
でも疑問をしっかり形にしたり、それを伝えようと色んな手法を取ったりする事は良い事だと思う。

そう言う意味でもtopgearは「よく考えられた番組」だなと感じる。

使用機材:appleTV

使用サービス:Hulu






2013年6月22日土曜日

視力

私は視力が低いのでメガネが手放せない。

しかし先日、ちょっとしたアクシデントがあり歪んでしまった!
目というのは人の脳が光を取り込み、情報を判別するための道具だ。
その道具の性能がおかしくなり、メガネという道具で補正している。

考えてみると非常に不思議な話でもある。

例えば割れたお湯飲みがあるとしよう。
それでお茶を飲むにはヒビ割れをなんとかする必要がある。
普通ならヒビ割れをなんとか埋めたり、お湯飲みを交換する方法をとると思う。

ただ目は内臓であり、なかなか治療や交換が効くものではない。
ではどうしたかというと...例えるなら割れたお湯のみを大きめのドンブリの中に入れて、そこにお茶を注いでいるような感じだろうか。

お茶を飲むにはもちろん不便だ。
慣れてしまえばどうということはないものの、やはり素直に飲むほうが良いに決まっている。

そう考えると少し前に流行った「メガネ男子」なんかは不思議な現象かもしれない。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%83%8D%E7%94%B7%E5%AD%90-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88/dp/4757211740

ところで久々にメガネを外していて、ふと面白いなと思うところがあった。

メガネのない世界は単純に視界がボヤケていて、輪郭がハッキリしない。
室内だとわかりづらかったんだけど、外に出たときに「この絵はどこかで見たことがある!」と興奮してしまった。

いや、まあどこかで見たことあるって家の前だからね。
毎日見ている景色ではあるわけで、見たことがあるのは間違いない。
でもなんというか、妙に受ける印象が違っている。

なんだろう、なんか気になるな...頭の中で引っかかってるな...
そう思って考えてみたら、どうも写実主義と印象派の絵の違いに辿り着いた。

先日足を運んだウィーンのレオポルト美術館で見比べた感じに近い。
相方から話は聞いてはいたのだけど、なんでこんな表現になったのか不思議でしょうがなかった。

絵に輪郭を用意しないとは余程の変わり者か天邪鬼か...
とか思っていたのだけど、初めてその技法に気がついた人は目が悪かったのかもしれない。
だから自然と暗い絵よりも明るい絵を描くようになったのかな?と。

いや、いつもの勝手な推測なんで的外れかもしれないんだけどね。
もしそうだとすると、自分の目は凄く贅沢だなとも感じる。

結局はドンブリの中のお湯飲みではあるし、正直メガネなんて面倒くさい。
だけど目の前には写実と印象の二つの世界が常にあり、それを自由に選ぶことが出来る。
視力が良い人と比べると二面性のある世界をしっかり楽しめるのだ。

なのでたまにはメガネを外してボンヤリ歩いてみるのも良いのかもな、と思えた。
予期できないアクシデントもなかなか良い発見になるものだね。

2013年6月21日金曜日

幼虫小劇場

先日会社の入り口にダンゴムシが居た。
踏んで潰さないように指でつついて丸まらせて、安全なところへポイ。

ダンゴムシ、達者でな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A0%E3%82%B7

その後ろには何故かカブトムシの幼虫のような生き物が居た。
体は白くて顔や足が黄色っぽくて、尾の先?には黒い内臓的なものがある。

なんとなく馴染みのある「This is 幼虫」みたいな幼虫だった。

これも潰さないように捕獲...しようと思ったのだけど、指で触るのは嫌だな...
そう思ったのでイラナイ紙を持ってきて、保護して、土の上に捨ててこようと判断。
早速実行に移してみた。

まずは紙を破いて適度な大きさにする。
それでチョン!と突く。

と「やーらーれーたー!」みたいなオーバーアクションの後、バタッと動かなくなる。

死んだかな?と思って観察してたら、少しの時間が経ってから動き出した。
紙の上に載せるためにもう一回やってみると、また同じ反応。

子供に「バーン!」と撃たれて「やーらーれーたー!」ってやるお父さんみたいな...
その大衆演劇、どこで習ったの?と聞きたくなるような大根演技っぷりだったのだけど、自衛本能なのか?
誰も何も教えてくれない幼虫でもこういうことやるんだな、と感心してしまった。

だってあいつら孤独で土の中にいるんだよ?

結局紙の上になんとか載せ、無事に土の上へ移動。
変なのに襲われなきゃ、無事に生き抜いてくれるでしょう。

そしていつか成虫になって再会したときには松田優作さん張りの演技で度肝を...
http://www.youtube.com/watch?v=gjl8ovjOm5A


死の概念

人の最終目標って言うと、多分「不老不死」になるんだろうな。

文明って言うものに気がついてから...
いや、支配されてからは少なからずその方向に向かっていると思う。
多分全ての生き物の中で、唯一「死に対する恐怖感」を持っているんじゃないだろうか。

そしてそこから逃げている。
逃げて逃げて逃げ切ろうとしている。

ただ面白いのが、距離をとれば取るほど恐怖感は増している気がする。
社会が少し過保護になってきているのはその表れじゃないだろうか。
同時にその恐怖感が文明という生き物の正体なのだとも思う。

ところで不老不死に辿り着いたとして。
人にとって死と言うのが身近なものではなくなる、もしくは概念化する。
その中で「終わり」への恐怖を持ち続けるのか、それとも興味や渇望を持つのかが気になる。

何故か。

簡単な話、普段であれば人は空気が失われたら?なんてことを考えることは無い。
それは無くならないという、ある程度「暗黙の前提」があるからだと思う。

例えば江戸時代などは彗星が来るなんて話があれば息を止めてやり過ごしたなんて話がある。
これはどこからか「彗星が空気をもっていってしまう」なんて噂が出てきたかららしい。
当時の天文学がどこまで進んでいたかは知らないが、非常に面白い現象だ。

というのもこの話、彗星をやり過ごしてしまえば安泰となってしまう。
言い方を変えると「危機が去れば空気が無くなることはない」となるのだろうか。

逆の例として空気の喪失に恐怖を感じるのは洞窟、潜水艦などの閉鎖的環境が挙げられる。
この状況であれば多くの人が「もし崩落したら」「何かの故障で」と考えてしまうだろう。
実際にそんなことが起きていなくても、気分だけで少し息苦しくなる。

しかしそう極端に考えなければ「空気が無くなるなんて」と思うのが普通じゃないだろうか。

だからもし今後不老不死に辿り着いたとして。
死の概念から今よりずっと遠ざかり、意識すらもしなくなったときに「どう考えるか」が気になってしまう。

野生動物や文明に触れる前の人間などは死の概念を持っていないと思う。
多分「油断すれば終わり」というくらいに死という存在が近いからじゃないだろうか。

私たちで言う空気のように、当たり前にそこに存在するもので特別に疑う必要性が無い。

文明に生きる上で感じる「恐怖」というのはもしかすると概念を持ってしまったからかもしれない。
栄養価が変化し、より身の危険から遠ざかることで、身近で見えなかった死というものが視覚に入ってしまった。
だから一目散に逃げることで、自然と不老不死へと向かっているのだろう。

でも遠ざかれば遠ざかるほど怖くなる。
逃げても逃げても逃げても、後ろを振り返ればいつもそこに居る。

人は文明化してまで死の概念から逃げている。
だけど面白いもので、自殺というのは環境の良い国や先進国の方が多いらしい。
どちらかというと死の概念に近い国や地域のほうが恐怖感を感じていないのかもしれない。

だとすれば。

人がこの先不老不死に辿り着いたとしても恐怖に終われて生きて行くだろう。
まるで西遊記のように、ヤンチャなサルは釈迦の掌から抜け出すことはできないのかもしれない。

そして生きて逃げ切れない恐怖に対して打てる手段は...
と結論を書くと怖くて寝れなくなるかもしれないからやめておきましょう。

2013年6月20日木曜日

ハナタレ小僧の見たアメリカ

今よりも遥か昔の話。
三保の海へ来た私は海の向こうに見える「それ」を見てこう思った。

いつかアメリカ行ってみたいな!

しばらくして「それ」がアメリカではないことに気がついた。
私がアメリカだと思っていた「それ」は伊豆半島。

知識がある今では「ねーよ!」と笑えるものの、当時は凄く真剣だった。

当時の私は駿河湾を太平洋だと思っていた。
というのも「海の向こうはアメリカ」という教え方をされたからだろう。
だからこの考えは間違っていない!と、今でもそう思っている。

素直な良い子じゃん!...とは流石に思わないけど。

でももしかすると、小さな私には「アメリカ」がちゃんと見えてたのかな?って気もする。
全てを知る前はその海の向こうでどんな人達がどんな生活をしているのか。

毎日ワクワクしながら考えていた。

今となってはあまりに遠い記憶となってしまった。
延々と先の見えない海で遮られていて、私の「アメリカ」がどんなものなのか思い出せない。
だけど「それ」を見る度に、目を輝かせてるハナタレ小僧の姿が見える。

...待ってろよ、いつか連れて行ってやるからな。

2013年6月19日水曜日

入山料

世界遺産に選ばれた富士山に入山料が課されるらしい。
その額、1人あたり千円。

...随分安いな。

というのが実のところの感想だったりします。
確かに手ごろではあるんだけど、軽く手が出そうでちょっとヤラシイ額だなー。

ちなみにヒマラヤの場合は最低が10人で5000ドルだから1人頭500ドル程度らしい。
http://www.kachispo.com/k/124/

1ドルを100円とすると5万円か。

世界一の山だからっていうのもあるだろうけど、妥当かなと感じる。
危険であるし、何より管理が難しいのだからある程度高くて当然だと思う。

それから行くと富士山もどうだろうな...最低1万円は取った方が良いんじゃないだろうか。

ある程度の費用が集まればゴミ拾いなどもボランティアに頼らなくても済む。
そこに雇用が生まれれば「山が好き」というだけでも、それなりに生活をしていけるかもしれない。
生活サイクルの中にしっかり組み込めれば、本当に意味のある世界遺産になると思う。

そもそも私はボランティアという考え方が凄く嫌いなのだよね。
というのも、それは対価が見えない労働だからです。

これが短時間、短期間だったら経験という対価も期待できる。

その経験を元に起業したり、新しいアイデアを具現化したりすることで得られるものがある。
逆に長期間続いたり定期的に規則正しく行われると、その具現化、アウトプットの機会が奪われてしまう。
それでは仮に得られた経験も生かすことができない。

奉仕というのは聞こえは良いのだけど、度を過ぎれば悪影響になる。
得にこういう公共の問題において考える場合「対価」というのは常に頭に入れておく必要があると思う。

得に世界遺産で観光を思うなら、まずゴミ拾いやガイドの出来るプロフェッショナルを作る必要がある。
それには雇用もそうだし安全で確実なシステム作り、例外を認めない厳格なルール整備などが必要になってくるはず。
なのに入山料1000円という数字がそれをちゃんと想定できてるのかと考えると、正直疑問なのですよ。

同時にその思考サイクルの破綻がどうも日本の足を大きく引っ張っているなと思うわけです。
だって新しく火を熾すのに薪の用意もしていないのはおかしいですよね。

まずは少しでも長く火を灯すにはどうするかを考えないと。

だから専門知識や経験、それから好奇心や意欲。
日本一として胸を張るなら、まずこれを正当に評価して生かして欲しいものです。
そのサイクルが出来てこその文化遺産じゃないかと思うのですが...

なんで勉強するの?

不思議なもんで、学生から遠ざかると勉強の重要性って言うのが見えてくる。
だけどそれを現役の人に、例えば子供に聞かれて答えを伝えることが出来るだろうか?

私には少し自信がない。

手段は幾つかあると思う。
勉強しないとこうなっちゃうよ!というネガティブな話もそのうちの1つだ。
ただそれは、目の前にある分野に対する否定にもなる。

もし将来その分野に触れることがあれば、植えつけてしまったネガティブな視点はそこで花が咲く。
そうなると彼にとっては大きなマイナスになってしまう。

逆に勉強するとこういう良いことがあるよ!というポジティブな方法もある。
しかしそれは今彼の興味が向いている先には絶対に勝てない。

子供であれ大人であれ、後で満腹になるものより今の空腹を満たすほうを選ぶだろう。

しかしよく考えてみると私はこの質問自体に二面性を感じてくる。
勉強に興味があればこの質問は浮かばないが、もし興味自体がなければ聞いてこないはずだ。
もしかすると勉強の内容より、勉強をする「行為」自体に目が向かっているのかもしれない。

ここに何かのヒントや落とし穴があるような気がする。

子供がビデオゲームをやっていて何故楽しめるのか。
それは恐らく行為に対してのレスポンス、反応が早いからだと考えられる。

ゲームはAボタンを押せばどうなる、Bボタンを押せばどうなるというのがハッキリしている。
その行為は目の前の画面に即座に表示されるし、その正否も直ぐわかる。
だから一つ一つの調整、修正が効きやすいのだ。

ではゲームと比べて嫌われる勉強はどうか。
興味を引き出すように作られていないというのもあるが、成否までの反応が遅い。
そのため短時間で何か行為の手応えを得ることができない。

同時にそれは自分を長時間コントロールする必要があるということでもある。
多分、大抵の人が行為に疑問を持ってしまうのはそこなのだろう。

これを大人の仕事に例えてみるとこうなるかもしれない。

あなたは上司に指示されて大きな穴を掘る。
ただそれは何の意味があるのか、何に使うのかを知らされていない。
しかし毎日のようにそれをし続ける必要がある。

地中には多くの情報がある。
虫もいれば土や砂の状態、種類の変化もある。

しかしそこに興味を持てるのは余程珍しいタイプの人ではないだろうか。
大抵の人間は途中で自分がしている行為に疑問を感じるはずだ。

大人であれば別の仕事を探し、それにつくことができる。
だが子供は勉強という意味のわからない穴掘りから逃げることが出来ない。

それならどうするか。
穴掘りの後の話をしっかりすることが大切だろう。

例えば建築関係に興味があれば、君は勉強をすればあそこのビルを建てることが出来る。
ただそれには幾つかの知識が不可欠で、それを生かすにはこれらが必要になる。
そういう話を出来るかどうかでその穴掘りの価値は大きく変わる。

ではそれを伝えるにはどうすれば良いのか。

恐らく特別難しいことではないだろう。
周りの大人が勉強の理屈、面白味や構造、発展性を理解していれば良い。

君が理解すれば、また次の世界が見えて来るんだよ。

そう言って、ビデオゲームにおけるコンピュータの代わりをしてあげれば良い。
後は知識をただ詰め込むだけじゃなく、それをアウトプットする方法を一緒に考えて実行する。
ある意味では意味のわからない穴掘りに対して、子供以上に真剣に向かい合うことかもしれない。

私も例に漏れず勉強には疑問を持っていたし、ビデオゲームのほうが面白かった。

それでも今、この年になって勉強の楽しみというのが理解できている。
生きていればいつか理解できるものなら、きっとそのときにだって伝わるものだろう。
子供のときと特に違っているのは「アウトプットとの距離」かもしれない。

今は勉強したこと、考えたことが直ぐに実践できる場に居られている。

なので机の上に無く、紙の中に無い知識を吐き出す先を見つけること。
それが出来れば退屈で無機質な穴掘りも、大切な行為と感じられるのではないかと思う。

2013年6月18日火曜日

イタリア人からイスラエル人へ。

お前はイスラエル人だな。

札幌時代に凄くお世話になった先輩の一言。
そのときの話題はと言うと「何人に似ているか」というものだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E4%BA%BA

ところで、何故にイスラエル人...

先輩曰く「人の話を聞かないし意志を曲げない」かららしい。
彼が思うところのイスラエル人というのは余程頑固な存在だったのだろう...ということは私も?
我ながら結構柔軟な人間だと思っていたのだけどな。

それと、とにかく理屈っぽいところ。

これに関してはわかる気がする。
多分、今、blog読んでくれてる人の大半が頷いただろうな。

話はそれからさらに遡るんだけど、別の人から「あなたはイタリア人になれ」と言われたことがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA

確か女性にモテナイのを相談したのだったと思うけど、その時は真面目すぎるからダメなんだと言われた。
その人曰くもっと軽薄になりなさい、もっと気楽に生きなさいと。

もっと言えば「良い女が居たら即口説け」、「とにかく相手を褒めろ」と。
確かにそれまでの私は真面目にネガティブだったし、相手の欠点ばかりが目に付いていた。
今考えると、そんな人生面白くないだろ?というニュアンスだったのかもしれない。

それ以来は出来るだけ良い部分を探すようにした。

失敗の中にも成功の種があるように、悪い中にも良いものがいっぱい見つかった。
それで出来上がったのが...何故か「イスラエル人だった」というのがなんとも不思議な話ではあるけど。

よく相手の褒め方がわからないって話を聞くことがある。

その人を見ていると、どうもそのときの私と同じように真面目にネガティブな人が多い。
多分、型に嵌ろうとしすぎて柔軟性が失われているのかもしれない。

私もそのときに非常に苦労した記憶がある。

色々試した結果上手くできたのは「特徴を見つけて、それをひっくり返してみること」だった。
そうしてみると長所だと思っていたところは意外な欠点になったり、短所は思いつかなかった利点になったりする。

大切なのは自分から見た長所短所じゃなくて、それを生かせるところで生かせるかどうか。
真面目さというのも同じで、それを上手く生かせていなければ欠点になってしまう。

それを知るには一回自分の目線を出来上がった価値観から外すことが必要になる。
私にとっては多分「イタリア人になれ」という一言がその機会だったのだろう。
最初は戸惑いながらも、手探りながらも徐々に理解が出来てきた。

それからは恋人も出来たし自信も持てたし...と、金以外は怪しげなグッズの売り文句のようになった。
結局の話、目の前の機会を生かすも殺すも自分の心がけ次第なのかもしれない。

これらの大切なものを教えてくれたその一言は、きっと生涯忘れられない存在だろう。

2013年6月17日月曜日

宿題考察編

ARTORO第一回の宿題で出たのが「稲を発芽させてみよう」というものの考察編です。
http://toro-museumshop.jp/artoro

私はヘルシアのペットボトルとカップヌードルのカップに土を入れ、種をまいてみました。
http://geshimashita.blogspot.jp/2013/05/artoro_26.html

しかし手を加えずに基本的に放置しました。

3週間の間、水をやったのも一回(カップヌードルのみ)だけ。
カップヌードルは一度雨で水没したんで、水を少しこぼしました。
後はホントに忘れるくらい放っておきました。

理由は簡単で、植物は条件が揃えば勝手に発芽するから!...です。

結果としては勝手に発芽しました。
しかも結構元気に伸びていったので一安心。

これは考えるのに必要な”良い材料”になりそうだぞ。


実は登呂遺跡の高床式倉庫を見てから凄く疑問を持っていました。
竪穴式住居と同じく弥生時代の象徴とも呼べるものなんですが、何故あのような違いになったのか。

突然ですが、人間は基本「逃げ」の生き物です。
起きた結果から現象を捉え、それを意図的に再現することで数々の理屈を積み上げてきた。
言い方を変えると立ち向かわないことで”焦点を合わせる作業”が出来たのだと思います。

例えば火からは熱いから逃げる。

それでどこまでの範囲が熱いのか。
どこからが物質が変化(燃焼)するのかを把握できたからこそ管理ができるようになりました。
恐らく危険な動物に対しても、変化する天候も、植物においても同じでしょう。

だから高床式倉庫にしても何らかの「逃げ」があったと思うんです。
それがなんなのか、凄く気になっていました。

竪穴式住居と高床式倉庫を比較して見ると面白い違いがあります。

前者は下に掘り下げているのに対し、後者は上へ。
表現に私の理屈を取り入れるなら「高床式は大地から逃げている」となるでしょうか。

一体何故なんでしょうね?

多分、一番のポイントは湿気対策でしょう。
昔は風通しを良くすることで穀物の保存状態を良くしたというのを授業で習いました。

しかし変な話、直ぐに腐って食べられなくなるものなら保存にそんなに固執しないと思うんですよ。
植物だから生えてる時は食べる分だけ採れば良いし、無ければ無いなりに別のものを探す。

そもそも食べるものが全く無ければ、この地方は発展して無いでしょうしね。

あれこれ色々と考えた挙句、出てきたのが「勝手に発芽しちゃうんじゃない?」という仮説でした。
中学で豆か種か忘れたけど水とコットンとシャーレで発芽させる実験があったはず。
確か発芽の条件は水、温度だったような覚えが...

今回の実験の結果、やっぱりある程度は放っておいても芽は出る。
得にヘルシアは特別何もしていないわけだから、やはり湿気程度でもなんとかなりそう。

ということで得られた事象を、勝手に当時を推測しながら並べてみました。

1.どこかで稲の種を貰った。
2.保存が利くと聞いたので土器に入れて家で保存していた。
3.家の湿気と火による熱で発芽した。
4.一口食べてみるも「これじゃ食えない」とどこかに捨てた。
5.しばらくすると大きく育ち、実った。

このうち3.を回避するための高床式倉庫じゃないでしょうか。

保存状態を良くする考えって現代だと「腐らせない」になると思うんです。
でもそれは発芽条件を知っていて、その先の状態や流れが把握できてるからの発想。
当時なら発芽も腐敗も同じ状態の変化なはずなんです。

だから意図的に苗を育てたんじゃなくて、結果的に苗になってしまった。

結果は同じでも考える上で、この視点の違いはかなり大きいんじゃないかなと思います。
方や前向きな積極姿勢、方や後ろ向きな消極姿勢ですからね。

ただ捨てたはずが食えるようになった、少ない量だったのに増えたという衝撃は大きいはず。
よく「稲作が伝わった」って簡単に言うけど、そんなにパッと受け入れられないですよね。

畑でもない、水田でもない、身近などこかで稲の強さを認識する。

そこで初めて稲作を受け入れられる土壌ができるんだと思います。
しばらくして、もっとやりやすくしたい欲求が出てから地盤、農具の問題が生まれてくる。
それをするにはどうするかを考えた先に役割分担が出来る。

栄養状態が良くなれば、自然と勢力に差が現れる。
そして政治、宗教などの組織的なもの、近代化へと繋がっていくのでしょう。

だから文明とは単純な「成長発展」ではなくもっと消極的なものなのかな、とも思うのです。

今回の実験はそういう長年の疑問に向き合うのに凄く重要だったと思います。
同時にもっと早くから挑戦していれば、私は今の私とは違う私だったのかもしれません。

そう考えると...やっぱり消極的過ぎるのも良くないことなのかもしれないですね。

2013年6月16日日曜日

コッツウォルズ

先日、BS日テレの「世界水紀行」という番組を見ていた。
http://www.bs4.jp/w_mizu/

最近のテレビは綺麗だ。
そして画面が大きいからこういうゆったりとした旅番組が凄く映える。
BSだけじゃなくて普通の地デジもこういう感じになってほしいな。

今、素直に「わくわく動物ランド」とかやったら面白いのかもね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8F%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

それはさておき、水紀行。

今回の旅はイギリスのコッツウォルズだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BA

実は新婚旅行でウィーンと最後まで争ったのがここだった。
水が綺麗だし自然は多いし、この長閑で静かな景色を二人で味わうのも良いな...と考えていた。

今や足を運ばなくてもネットで雰囲気が伝わるような時代。
動きや音を連れてきてくれるテレビなら尚のこと、そこに行ったかのような気分になる。
だから見ていて「やっぱり素敵だな」と感じた。

歴史や文化を紹介されながら、その見事な景色を見てまどろむ。
その中で、私は何故か不意に違和感を感じた。

テレビに映る景色、歴史に憧れを感じている自分。
だけど、今私がそれを感じることが出来るのはテレビという文明の機器があるからだ。
それが無ければ私はここに触れることも、憧れることもできなかった。

言い方を変えると遠い国の私が触れられるものではなかったから。
知りえることがなかったからこそ維持されたものでもある、と。

文明化というのはある程度、文化や歴史、景色などを否定することで成し得る物。
私のところまで情報が届くまで、私が心地良く感じるまで多くの否定があったのだろうな。

そう考えたらその矛盾が妙に気になってしまった。

ウィーンでも感じたのだけど、文明と文化、歴史や景色はなかなか共存が出来ない。
共生することはできるが、その意味合い、姿形をそのまま変えずに過ごすのは難しい。

何よりその景色もそうした変化があって生まれたものだ。
変化を否定してしまえば、それらの成り立ちすらも否定せざるを得なくなる。

そこで多くの矛盾に支えられた世界に対し、うーん...と考え込んでしまう。

今とは一体どんな存在なのか。
文明という生き物に少し尋ねてみたい気がした。

2013年6月15日土曜日

モーツアルトの出勤

ウィーンで一番印象に残ったのはなんだろう?
1ヶ月程経った今、改めて振り返ってみる。

建物、歴史、街並み。
思い出してみるとキリが無いくらいの衝撃。
その中で一番これは!と強く印象に残っていることと言うと「モーツアルトの出勤」かな。

泊まったホテルの前にはオペラ座がある。
http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/home/Startseite-Content.de.php

ここは第一次世界大戦。
オーストリアが枢軸国として敗戦した戦争で全壊した場所だ。
現在は復元され、その後は今も様々な演劇やコンサートの会場として使用されている。

で、そこには楽友協会なのかダフ屋さんなのかわからないんだけど、手売りでチケットを販売。
なので日本人が通りがかると「コンニチハ、コンバンワ、オ元気デスカー?ワタシ日本大好キヨー」と怪しげな日本語が投げかけられる。

その人たちの格好がまるでモーツアルトなのだ。

白髪のカツラに...大人し目のタケちゃんマン?みたいな上着にスパッツのような格好。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=7WCyTht60bM

よくわからないんだけど、そんな人たちが毎日のように余ったチケットを売っていた。
でも取り締ったりしてないみたいだからちゃんとした仕事なのかな...

朝の9時ころ、彼らは急に現れる。

普段どこで着替えてるんだろ?と疑問に思っていたのだけど、売り子をする格好。
そのままで地下鉄のエスカレーターをそのまま上がってきたのだ。
隣のトラム(路面列車)の駅方向からも数人やってくる。

中世みたいな街中を現代人が歩く中、自然な顔してモーツアルトが歩いているのだから驚く。

日本で言うと仮面ライダーショーの出演者が家から仮面ライダーで来るみたいな感じだろうか。
それとも家から侍や忍者が映画村に出向くような?

しかしそれがさも自然で、本人たちからまったく違和感を感じない。
むしろ驚いていた私が変なのかな、という気分さえしてくる。

彼らだけでなく、観光用の馬車(フィアカー)も朝になるとその姿のまま「出勤」してくるのだ。
http://www.wien.info/ja/sightseeing/fiaker-horse-drawn-carriage

車道をカッポカッポと進む馬車。
もちろん右折や左折も自動車と同じように行うし、しっかりナンバーもついていた。

彼らにとってはそれが作業服であり制服であるわけだから、それがきっと自然なのだろう。

でも私には街並みや美術品達以上に衝撃を受けた出来事だった。
状況を考える限りではまあ確かに、とは思うものの...

2013年6月14日金曜日

宇宙人と顕微鏡

中学生のころ、理科の実験で池から水を採取してきた。

それをスライドグラスに載せて、顕微鏡で眺める。
するとふと人のようなものが見えた。

おかしいな?なんだろ?

顕微鏡から目をはずして確認してみたけど、誰かのいたずらじゃないらしい。
もう一度眺めると目が合った、そして慌ててゾウリムシの後ろに隠れた。

動きや姿が凄く人っぽいのだけど、どうも人じゃない。

これは小人?それとも宇宙人?
わからないまま時間は過ぎ、結局そこからは何もないまま季節が過ぎた。

数ヶ月経ってから再び採取する授業があった。

またカバーグラスをして、顕微鏡で眺める。
すると今度は数人で狩りをしている人のようなものが見えた。

おかしいな?またか?

彼らは集団でミジンコを襲っている。
落とし穴に誘い込み、槍を持ち、ミジンコを討っている。
多分今日の食事なのだろう。

そんなことを考えてるとまた目が合った。

彼らは小人?それとも宇宙人?
わからないまま時間は過ぎ、結局そこからは満足そうな彼らを眺めて終わった。

数年経ってから、ふと空を見上げて見た。

何か透明な、光る何かが見える。
もしかするとその先には...と思い、私は手を振ってみた。

誰かと目が合った気がする。

私たちは小人?それとも宇宙人?
わからないまましばらく、その不思議な何かを眺めていた。

待ち合わせ

ウィーン新婚旅行のときに、H.I.S.さんのオプショナルツアーでホイリゲへ行った。
http://activities.his-vacation.com/jp/jp/CityTop/VIE.htm

実はそこで飲んだワインが未だに忘れられずにいる。
半ば中毒のように酒屋を巡っているのだが、オーストリア産は流通量がないらしく見当たらない。
そこで「仕方が無いから」というと失礼だけど、現在はドイツワインで喉の渇きを潤している。

土地柄が近いだけあってなんとなく味が似ているような...?

ホイリゲツアーでの待ち合わせは「アルベルティーナ広場」だった。
現地に着く前は正直行ってもどこかわからないんじゃないか?という感じ。

だって「広場」って言うと微妙だよね。

なんか駅前のちょっと開いてるところっていうか...
多分待ち合わせで使うくらいだから渋谷のハチ公前くらいの感じだろう、というイメージだった。

結論を言うと考えが甘かったね。
http://www.ryoko.info/vienna/024vienna.html

そこにあったのはこんなに凄い広場があるのか!?っていう彫刻の数々。
印象としてはハチ公とかモヤイ像前じゃなく、ロダンの地獄の門の前。
なんだろう、この凄すぎて逆に迷う感じは。

ホテルから近かったから良かったものの、遠かったら少し背筋が凍る展開だったかもしれない。

ところで広場っていうとどんなものだろう?と気になったのでいつものWikipediaを検索。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%A0%B4

日本だと皇居前、札幌の大通り公園なんかがそれにあたるらしい。
世界的に言えば中国の天安門、ロシアの赤の広場なんかがニュース的にも印象深い。
なんだ、言葉通り凄く広いんじゃん。

というより不思議と戦車のイメージしかないのはナイショだ。

それで何故にこんなイメージになったのかを考えてみた。
恐らく「歌広場」というカラオケ屋がパッと出てきたのでそういうことなのだろう。
http://www.utahiro.com/

なのでウィーンへ行ってみて、私の発想力は貧困だなとつくづく感じた。
もう少し人間としてのスケールを上げて行かないとダメだな...

2013年6月13日木曜日

芸術に対する疑問

先日見ていたテレビで「現代芸術の紹介」コーナー?みたいのがありました。
そこで紹介されていたのが錯視アート、目の錯覚を利用したものが紹介されていました。

見ていて「これって芸術なんだ?」と。

番組内では開発した教授が遠近法を利用した...ルネサンスから...と説明してくれてましたね。
聞いてて良くわからなかったんだけど、なるほどなーという感じでした。

それで翌日機械を修理していて製品の変化を見たとき、急に合点が行きました。
ずっとこれまで芸術ってなんだろうという疑問を持っていたんだけど、なるほどこういうことか、と。
先日野焼きで聞いた本原さんの話ともやっと繋がりました。

何かと言うと、多分「科学技術の結果」なんですよ。
これがわかったとき、やっと頭の中に刺さってた小骨が抜けた気がしました。

単純に表すなら、AにBという条件を加えて生まれたものがCとなる。

先日の野焼きの場合だと 粘土(A) に 熱(B) という条件を加えて生まれたものが 焼き物(C) となる。
だから狙い通りの 結果(C) を作り出すには 粘土(A) の状態、 熱(B) の条件を確保し確定する必要がある。

結果、その結果が平面なら絵になるし、立体なら彫刻や焼き物などになるのだと思う。

これを過程を重視して科学の分野でやれば実験。
生み出されたものに価値を見出すことが出来れば芸術というカテゴリーの中に入る。
だから前の人が何をやったか?ということを勉強しなくては、次の段階に移れない。

なるほど、わからんはずだわ。

同時に作品というのはその時代、その地方において「どれだけ技術が浸透しているか」の指標と成る。
だから見るこれは遠近法が生まれる前の時代のもの、これは絵の具などの鉱石採掘技術、運搬能力が伸びた時代などいうのがわかる。
そのために残さなくてはならないし、そのためにしっかりとカテゴリ分けしなくてはならない。

作品はそれだけの価値じゃなくて、遠くから見れば一つ一つがパズルの欠片になっている。
なるほど、だから良く聞く話なんだけど「表現一辺倒で何かをする」っていうだけじゃダメなのか。
その考え方がちょっとだけ理解できたような気がする。

そう捕らえられたら、自分の携わっている仕事がそのまま大きな意味で芸術なんだろうなと思えた。
だって今の時代の科学技術の浸透により得られたアウトプットだもんね。

しかし、だとしたら自分は何を残せるのだろう?

仕事の製品と言われればそれは間違いなくあると思うのだけど、なんて言うかさ。
そのパズルの欠片の中でも「あ、こいつだ」ってわかりたいし、わかられたいじゃんね。
普段引っ込み思案で目立つの嫌いなんだけど、どうせ生きるなら...

と考えたところで、これが芸術家さんの頭の中なのかな?と少し触れられた気がする。
うん、いつかどこかでなんか残せると良いな。

2013年6月12日水曜日

地球はともだち

地球はともだち、ヤオハ~ン♪

というCMがあったのを知ってる人は私と年代が近いか、それ以上だと思う。
あと、静岡中心の生活圏だった人か。

その昔、ヤオハンというデパートに近いスーパー?があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%AA%E3%83%8F%E3%83%B3

今のイオンとかの走りになるのだろうか?
静岡を中心に店舗を構えていたのだけど、なんか妙に怪しい佇まいだった覚えがある。

デパートと比べると確かに華やかさがない。
おもちゃや日用品は安かったのだけど、品揃えがB級というか...メーカー品じゃなかった。
時代的に考えると、もしかするとニセモノも多かったのかもしれない。

というのも札幌へと移住前のこと。
そこで父が「腕時計は最悪質屋に預ければ金になる」と、高級品?の安売りを買ってくれた。
今考えると10万円クラスのが1万円弱になってるので怪しいとは思う。

ただ当時の私は「そうなのか、お父さんありがとう」と素直に思う、純粋な少年だった。

問題はというと、私は昔から時計の文字盤が読めない。
小学2年生のころに挫折して以来、未だにじっくり考えないと何時か理解できないのだ。
さらに左手につけるとどうも気持ち悪くなるため、右手に付けなくてはならない。

そういった相性の悪さもあったのか、時計のベルトがわずか1週間で壊れた。
移住先の近くにあった時計屋さんで修理をお願いしたら、なんと1万円近く取られた。

しかし純粋な私は「さすが高級品、ベルトも高いんだな!」という感じ。
貯めておいた小遣いで何とか支払い、その後も何かあったときに...という言葉を信じて使い続ける。

だけどその1週間後、今度は針が取れた。

また時計屋に行ったのだけど、修理代を聞いてさすがに「ねーよ!」と気づきました。
あわれ父が渡してくれた命綱はわずか1ヶ月ももたずに千切れてしまいましたとさ。

ですが、それでも思い出がいっぱい(H2O)。

ガンダムのプラモデルを買ったり、ゲームを買ったり。
誕生日に、父に対してトランスフォーマーを強請ったのもここだった。

そう言えば「○○個限定」というのに朝4時から並んだ思い出もある。
ちなみに10時開店だけど余っていたので全くの無駄な努力だったわけだが...
こんな経験も記憶に残って良かったのかもしれない。

小遣い片手に初めて1人で服を買いに行ったのもここだった。

その時はTシャツと帽子、それから何を買ったかな...
残念ながら細かいところは覚えてないけど、満足した覚えはある。

だからきっと良い思い出だったのだろう。

そんなヤオハンは私が札幌に居る間に閉店。
現在はイオン系列のマックスバリュー東海に吸収合併されているとのこと。

ヤオハンや、同じく潰れたダイエー。

当時の安い店はやっぱりどことなく怪しい雰囲気を持っていたな。
私の心にある古いアルバムの中は、気づけばそんな思い出がいっぱい。
果たして大人の階段はちゃんと上れているのだろうか?

しかし...これもまた歴史であり時代かー。

2013年6月11日火曜日

ARTORO参加記録 第二回目田植え その2

午前の部、田植えの前は野焼きを行いました。
http://toro-museumshop.jp/artoro

奥が本原さんの土器。
手前が前回作った食器を焼いています。

ちょこっとだけ手伝ったけど凄い熱かった...

朝8時半から用意が始まり、火が入ったのが10時ごろ?
私たちは丁度そのころ参加したんですが、結局17時の撤収ギリギリまでかかったようです。
それでも時間が足りなかったとか。

うーむ、土器を焼くのは難しいんだな。

本原さん曰く、登呂からは窯元が出てないとか。
今回の試みはそれで「もしかしてこうやって土器を焼いたのでは?」というテストをするという話らしい。

へ~、なんか良いね!
※実は行くまで話の趣旨を理解していなかった。



そして無事に?(かどうかは見てないのだけど)焼けた後も一苦労が。
一気に冷やしては加熱された土器が割れてしまうので、撤収時にはモミガラに入れて保温。
そしてジンワリジンワリ冷却をする必要がある。

たまたま見たら「焼けた土器にモミガラが引っ付く!」と楽しそうな悲鳴が上がっていました。

後で聞いたのだけど、モミガラ跡があるものは「食べ物に使われた土器」と仮定されてるらしい。
今回はモミガラが燃料になっているし、冷却法ではモミガラが引っ付いてしまっている。
なので、もしこの方法が正解だと歴史が一部変わるかもしれない。

うーん、興味深い話だ。

そうなると上の検証実験の写真みたいのが教科書に載るのだろうか。
ARTOROが教科書に載ったら面白いね(こういう妄想大好き)。

しかし実際はどんな話だったんだろうね?
どうにも一点気になったので登呂の人に聞いてみた。

火葬っていうのはあったんですか?

昔読んだ「マンガ日本の歴史」で、フグを食った家だったかな?
結局一家全滅しちゃって、そのまま火葬してたような覚えがあるのですよ。

普段土葬でも特別なときに火葬とかあれば、そこで焼いてた可能性もあるかなーと。
そうすると普段から焼けないわけだから、器を大事にする話にも繋がるような気がするし。
窯元が出てこないのも理由がつく!と思ったんですけどね。

残念ながらそう言うこと(火葬は)なかったそうです。
うーん、実際にはどうやって作ってたんでしょう?

2013年6月10日月曜日

ARTORO参加記録 第二回目田植え その1

今回は腹痛を起こしてしまいました。
ということで残念ながら見学で、実際にはやっておりません。
http://toro-museumshop.jp/artoro

田植え面白そうだったなぁ...やりたかったなぁ。

ただ、眺めていて妙な疑問がありました。
というわけで、楽しそうに田植えしてるのを尻目に時間を遡ってみます。

1.体験サポートセンター前へと集合
前回に出された宿題の提出と苗の話を聞く。
講師の米農家青木さんの熱い講義にプロ魂を感じる。

2.水田へ移動する
第一回で粘土を採取した水田へ移動。
苗を一輪車に載せ、あぜ道を行く。

3.田植えを行う
まずは青木さんが見本を見せてくれる。
パッと見て上手い人、下手な人、経験者と色々居たけどみんな大盛り上がり。
ちなみに気がついたら本原さんは素足で田植えをしていた。


...で、現在に至る。

こうして段階に分けてみると、最も気になる点としては2番の輸送かな。
今回はトラクター規格のサイズを一輪車で運搬したけど、当時はどうやってそこまで持ってきたのか。
それと、どこで苗を育てていたのか。

車輪などの道具が一般的でないなら水田の近くでプランターみたいな施設があるはず。
というのも一回どこかの地面で植えてるとしたら、基本的には移動させずにそこで育てると思うのですよ。
もし水田にするのなら、芽生えた後に水を張ってしまう方が良い。

実際稲森さんの企画展「米づくりの今昔」を見る限りではそういう類のものはありませんでした。
http://www.shizuoka-toromuseum.jp/event/detail.asp?r=68

主には耕作や収穫、その後という感じ。
唯一移動に使えるかも?って出土品は田下駄くらいかな。
しかも何に使われたのか良くわかってないらしいし...

ということで、もし「植え替えの二段階方式を取っていた」としたらを考えてみよう。

1.水路の川上で苗を一定期間育てる。
2.ある程度育った苗を土ごと掘り、板に乗せて水路に浮かべる。
3.そして水の流れに沿って紐か何かで引っ張る。

水路は繋がっているから、それは直接もって行ける。
後は到着した苗を水田に植えつけるだけ。

田下駄の浮力がどうなのか未知数ながら、水上輸送なら手軽だし車輪の存在は必要ない。
さらに言えば水と接することで根の乾燥を押えられるという一石二鳥っぷり。

これなら!...とは思うものの、残念ながらちょっと話が複雑すぎるわね。

今の水田のイメージを完成させるならこれで良いんだけど「必要性が母」であることを考える遠い気がする。
水路と田下駄と苗を同時に使用する、満たすための条件になってしまっているし。

そうなるとやっぱり水を入れる前に苗を生やして、それから水を引くほうが妥当かな?

しかし、だとすると「では何故面倒な二段階方式が主流となったの?」って疑問が出てくる。
もう少し歴史とちゃんと対話をするにはもう少し知識と時間が必要みたいだ。


2013年6月8日土曜日

生きくらげ

先日、某所。
この値札を見て相方が言いました。

すごいね、生きてるくらげだって!

しかし違和感があったのか?
その後30秒くらい凝視して「あ、違う!」と気がつきました。

生き、くらげ。

生、きくらげ。

どちらも同じ「生きくらげ」という配列。
しかし表している意味というのは大きく違っている。

海に生きるもの。

山に生きるもの。



生息する場所も、性質も全く違う生き物。
だけど食感や味が似ているから同じ名前が付けられたもの。
洒落ている分、非常に紛らわしい。

だけど昔の人が「きくらげはくらげに似ている」と伝えたかったことが良くわかる。
良くわかるからこそ、現代社会に生まれてしまった勘違い。

うーん、なんだか面白い。


2013年6月7日金曜日

伝えると言うこと

ウィーン国際空港に到着後、ホテルまではH.I.S.さんの英語ガイドさんが送ってくれた。

道中は私達にもわかるような簡単な英語で。
ゆっくりとしたペースでウィーンの街を紹介してくれた。
そして話が一区切りすると、必ずこう聞いてきた。

何か質問は?

不思議なもので、こう来られると何故か質問が思い浮かばない。
聞きたいことや知りたいことはいっぱいあるのだけど、何を聞いていいのかがわからない。
言葉が思いつかないと言うのもあるけど、意思表示一つまともに出来なかった。

返答が無いのを確認して「OK...ないみたいだから」と次に話を進めてくれていた。

話は進み、車は進み、ドナウを越えてウィーンへ。
そこでも観光の話やオススメのプランなど色んな話をしてくれた。
しばらくすると、彼はこう聞いてきた。

日本人は何で英語が話せないんだ?

話を聞くと彼の奥さんは宮崎出身の日本人らしい。
だからもしかすると、彼自身ある程度は日本語で話が出来るのかもしれない。
それを踏まえての疑問だと思う。

日本人は英語教育をしっかりやっている。
なのに何故話せないんだ?

彼の話を「多分こういう話だよ」と日本語で話をしていたのも聞いていてわかってたかもしれない。
だからこそ何故そこまでわかってるのに会話が出来ないのか?と思ったのだろう。

残念ながらそのときは答えられなかった。

英語で伝えるための言葉が思い浮かばない。
それも間違いなくあるのだけど、何よりも伝えることに対して弱いのだと思う。
私がそう思ったのはそれから数日した後のことだった。

足を運んだのが今回の旅で私が一番興味を持っていた場所、自然史博物館。

そこで目にしたのは意思や知識だけじゃなかった。
足を運んで来た人にイメージをどう共有するか?というスタンスの表現。

大雑把に言うと日本の展示の多くは「AはAである、故にAとなる」という感じになる。

これだと意思や知識は言葉で伝えるだけで、相手の頭の中に絵を作り上げていない。
だから見た人は言葉として知識を覚えることが出来るが、それが一体何なのかというのを理解できない。
要するに知識は「覚える」ためのものであり「理解」するものではない。

ウィーンで見たのは自然史博物館だけでなく他の美術館にしても同じ。
そこにある意思や知識をどうやって相手(私達Visitor)に伝えるかと言うことだった。

さっきの例えで言うとAが如何にしてAなのか、どうしてAに至ったのかをしっかり伝えてくる。

変な言い方をすれば、相手の脳にどうやって絵を描くか?というチャレンジ。
イメージを伝えるのが仕事であり、展示の役割であるわけで、ちゃんと伝わらなければ意味が無い。
だから文字による説明だけでなく色んな手段を使っていた。

私は残念ながら英語が堪能じゃないし、ドイツ語なんてもっての外だ。
しかし展示を見ているだけで何が何を表しているのか、どういった種類なのか。
またどの順番で変化したのかが、完全じゃないにしろ伝わってくる。


それを感じたとき、死にたくなるほどのショックを受けた。
今まで勉強していたのはなんだったのか...

そんな大きな衝撃と共にこの国では「伝える」ということを凄く重要視してると気がついた。

相手の中にイメージを作ること、自分の中のイメージを伝えること。
それが会話であり、情報の交換であり、それが出来て初めて理解に達するんだ。
なるほど、これが最初に出会った問題の答えか。

そう思ったら景色がが少しだけ違って見えた。





日本人の英語が苦手な理由は多分「話す機会の少なさ」にあると思う。
それは常に単一言語の、会話が成立する関係性が存在するから成り立つ話でもある。
いつもの言葉だけである程度成り立ってしまうから、あえて持ち出す必要がないのだ。

でも彼らはそれでは成り立たない。

だからしっかりと伝えるための手段を意識している。
英語はその中の、最たる表現道具の一つなのかもしれない。

それを感じてからは街中でも前を向き、できるだけコミュニケーションを取るようにした。

私はこう動く、私はこう考えている、求めている。
少しずつだけど、周りに伝わっているのがわかった。

帰国直前に自然と泣いてしまったのはそういう意識の変化からだったのかもしれない。
本当に名残惜しく、同時に妙な達成感があって溢れ出す感情を堪えることが出来なかった。

ホテルマンは「泣かなくていい、また待っている」と笑って声をかけてくれた。
帰りの車の運転手は笑顔でティッシュを出してくれた。

ありがとうしか言えなかったけど、それが伝えられて凄くうれしかった。

そして今回の旅で刻まれた「伝える」と言うこと、その意味。
これからの人生の中でもっともっと育てていかなくてはならない、種が芽吹いたと思う。
たった7日間の旅だったけど、私が手に入れたものはきっと大きい。

さて...私には何が出来るだろうか。

2013年6月6日木曜日

ロールケーキ

先日セブンイレブンのサイトを見ていたら6月6日はロールケーキの日、らしい。
http://www.sej.co.jp/

2月3日の恵方巻に続いてまた巻物。
確かイオンなんかは「秋の節分」とか言って色んなところで巻き寿司を売り出してたような記憶が。
http://www.aeon.info/

節分の歴史的には巻き寿司の前に豆撒きじゃないの?とは思うものの...
やはり大豆じゃ売上げに貢献しないんだろうな。

難しい問題だ。

このように近年は何故か巻き寿司ブームとも言えるほど巻き寿司が推されている。
何故巻き寿司で普通の寿司じゃないのだろうか?と一度考えたことがあるけど、多分原価の問題だろうね。
だって入ってるもの(具)が安いもん。

基本はきゅうりにかんぴょう、サクラデンブに卵焼き。
どれもスーパーの売れ残りで出来...おっと。

サブメンバーにはシイタケの煮付け、ボイルしたえび、イカなんかがたまに見られる。
これらが入ると単価も凄く上がるからやっぱり高級路線なのかな?
それからツナ、サラダ菜が入ってるのもあるね。

あとは米と海苔。

しかしこうやって挙げてくとやっぱり安いよね...
それでいて寿司ブランドの1つだからそこそこの満足感がある強みがある。
だからスーパーとしては扱いやすい商品なのかもしれない。

恵方巻きにロールケーキ、それから少し前には手巻き寿司の日なんてCMもあった。
http://www.youtube.com/watch?v=kZZkscMpQv0

そんなに巻きたいなら、私としては是非「色んな巻きもの」をそろえて欲しいなと思う。

山菜や貝類なんかも食べれるし、今は懐かしいビデオテープも良いかもしれない。
家族で眠った8ミリビデオを見る日みたいにすれば家族団らんにもなる。

スポーツなら走り高跳びがある。
日本全国でベリーロールをして冬の運動不足対策にしましょう、でも良い。
http://www.youtube.com/watch?v=HuLffwdrRXQ

コタツから出る良い機会に...なるかな?


2013年6月5日水曜日

カンダタ

芥川龍之介作、揖保の糸。

この中で主人公のカンダタは釈迦が垂らした揖保の糸を見つけ、極楽へと上って行った。
しかし途中で振り返ったとき、糸には多数の亡者が群がっていた。

そこで彼は「この糸は俺のものだ!お前たちは誰に聞いて上ってきた!下りろ、下りろ!」と喚いた。(Wikipediaより抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%98%E8%9B%9B%E3%81%AE%E7%B3%B8

結局彼の上で揖保の糸は切れてしまい、再び地獄へと戻ることに。
哀れ希望の光には手が届きませんでしたとさ、というお話。

しかしながら...うーん。
あの場で一体彼は何を言えば良かったのだろう?

切れると困るから一人ずつ順番を守れ。

ちょっと違うような気がするな?
もしそれで全員上がっても極楽だって定員オーバーになる。
釈迦だってそれがわかってるだろうから、間違いなく途中で切るだろう。

それをカンダタが救おうとしたら、やっぱり地獄へ戻る気がする。
お前は善悪の判断がつかないのか、とか言って。

もし無言で進んでいたら。

せっかくの揖保の糸が、亡者の重みで切れるかもしれない。
そうすると結局は地獄へ落ちることになる。

そもそもの話、あれは本当に極楽へと続く糸だったのだろうか?

釈迦の起こした行動や心境が非常に謎だ。
まぁフィクションに突っ込みを入れても仕方がないのだけど、どうも昔から気になってしまう。

彼はどうしたら極楽へと辿り着いたのだろう?

結局はその先に居るものに啜られてしまうと思うんだよね。
黒くて暗い底から救われたとしても、極楽と思っていた先で食らわれる運命だった。
そう考えると釈迦の気まぐれに振り回されたと考えるのが一番かもしれない。

どちらにしてもだし抜いてしまえば味気なくて食えない結果となる。
夏の朝、月もない空を目指してもしょうがなかったんでしょう。

2013年6月4日火曜日

進化の過程

日曜日の夕方6時からはTBS世界遺産を見ていることが多い。
http://www.tbs.co.jp/heritage/

昨日はパラオの綺麗な海をやっていた。
そこには様々な生物が居たのだけど、環境に適応するようにどんどん変化している。
平和なら平和なりに、天敵が多ければ多いなりに。

それを見ていてふと思い出したのが「ウミガメがクラゲと間違ってビニール袋を食べる」という話。
(写真:ウィーン自然史博物館展示より)

クラゲにとって捕食者であるウミガメは天敵だ。
しかしウミガメは現在安心してクラゲに食いつけない。

これを回避するにはウミガメの目が進化しなくてはならない。
クラゲとビニール袋を判別して、ビニール袋を避けた上でクラゲに食いつく。
光の少ない海の中でもこれを確実に出来る目、判断基準が必要になる。

対してクラゲとしてはウミガメから逃げる方法として「ビニール袋に似せる」という手が生まれた。

だから現在の透明な保護色のような体に加え、もしかしたら半透明や真っ白なものも生まれてくるかもしれない。
今までは姿を消すことが体を守ることに繋がったが、今度はあえて見せることでウミガメの目から逃げる。

なのでビニール袋の存在はもしかすると、互いに全く別の進化の道を見つける岐路なのかなとも思う。

もしかすると日本近郊ではセブンイレブンのようなマークがついたクラゲが生まれるかもしれない。
他にもファミリーマートやイオンのマークがついたもの、お弁当用の茶色い姿に似せた進化もありえる。
そう考えると環境問題は文明と同じく、人が勝手に押し付けてるものなのかもしれないな、という気もする。

2013年6月3日月曜日

お好み焼き

お好み焼きには大きく分けて3つの系列があるらしい。

大阪を中心とした関西風。
味付けはソースにマヨネーズという感じ...なのかな?
一般的にお好み焼きでイメージされるのはこれかもしれない。

これは○○玉という呼び方をするそうだ。
だから豚玉と言えば「豚が入った関西風のお好み焼き」となる。

東京を中心とした関東風。
札幌に住んでいたときに近所にあったお店の人が言うには醤油ベースの味付け。
さらにこちらは○○天という呼び方をするそうだ。l

だから豚天というと「豚が入った関西風のお好み焼き」となる。
食べた感じとしては関西風より堅く、少し油っぽい後味が残った覚えがある。

最後に広島を中心とした広島風。
おたふくソースに目玉焼き、焼きそばが入ったボリュームのある食べ物。
個人的にはこれが一番好きなお好み焼きかもしれない。

が...気になるのは何故「中国風」じゃないのかという部分。

中国地方では普通に食べられてないのだろうか?
不思議に思い、とりあえず色々と乗ってるwikipedia先生を頼ることにした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%A5%BD%E3%81%BF%E7%84%BC%E3%81%8D

戦後に生き残るために生まれた料理か。

言い方は失礼だけど、お気楽に見えるのも娯楽としての要素が強かったからかな?
飯を食うとき、腹いっぱい食うときだけは楽しく居よう!みたいな。

だからレシピや作り方で「こういう料理」って分けられないのかもしれない。

強いて言えば1.小麦を使って 2.野菜を使って 3.好きなの入れて 4.腹いっぱいになる食べ物、くらい。
料理すること自体がお好みだから、作っても食べても楽しい。

だからお好み焼き。
そう考えるとなんだか平和の象徴っぽくも感じるね。

それと大まかに分けると関西風と広島風だけになるのか。
札幌時代に食べた関東風の店主は「三大お好み焼き」と言っていたんだけどな...

とは言え関東風の店主からすれば「関東風こそお好み焼き」という意識があったのだろう。
その職人気質的なところは非常に評価するし、心意気は好きだから良いとしよう。
残念ながら味は好みではなかったけど。

そういう個人の店だけじゃなく、全国チェーン店のお好み焼き屋さんも出てきている昨今。
間違いなく、いつの日か「これぞお好み焼き」という形も出来上がってきてしまうだろう。

でもいつまでも堅物になることなく、楽しいお好み焼きで居て欲しいなと感じる。

2013年6月2日日曜日

ロボット

bloggerはgoogleのサービスなのかな?

詳しくはわからないんだけど、googleっぽいアクセス解析が無料でついていた。
世界のどこから、どんなOSで、ブラウザで、どんな記事を読みに来てるのか?っていうのがわかる。
ただ私にはそれがどんな存在なのかっていうのは良くわかっていない。

相方に聞いたところbotと呼ばれるロボット検索サイトの何やらもあるようだ。
やはりアメリカなんかからのアクセスはそうなんだろうか。

となると私のblogが更新される度、いちいち見に来てるんだろうな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

デデンデンデデン デデンデンデデン

全部読んだ後はなんかの処理をして「I'll be back.」と呟きながらブラウザを落とす。
もちろんその言葉に嘘はなくて、私がまたこうして更新するたびにゴツイ体したロボットがやってくる。
http://www.allmovie.com/movie/v49101

デデンデンデデン デデンデンデデン

お決まりのサングラスはモニターの見すぎで目が悪くならないようにだ。
ロボットは消耗品だから負荷を下げて、メンテナンスを軽くしなくてはいけない。
http://www.imdb.com/title/tt0088247/

デデンデンデデン デデンデンデデン

ライフルの代わりにマウスを持って、無表情でカチッカチッ。
そして高頻度で現れる私のblogを見て「またここか」と思っているのだろう。
明確な感情はないだろうけど、教えてあげよう。

人間の言葉で言うとそれはウザいというのだよ。

でもそう考えると凄く面白いから、天邪鬼な私はどんどん更新したくなる。
がんばれターミネーター、私が書き飽きるその日まで。


2013年6月1日土曜日

ARTORO参加記録 第一回目 宿題編その2

ここ数日の雨で水没していた我が畑(トムヤムクン味)。

あぁ、もうダメかな?と諦めていたんだけど、なんと芽が生えてる...?

え?わからない?
生えてるんだよ、真ん中にもやしみたいのが!

今にもやばそうな...例えるなら波平のアレみたいのが一本。

ひょろ~~~ん

って感じで存在しているのだよ。
ただ確かにわからなかったのでペイントで丸をくっつけてみた。

...まず丸がどこだかわかんねぇ...

こういうときに自分の技術力の無さに辟易する。
まあそれはそれとして、そもそもこれが古代米の芽なのかどうかもわからない。

もやしを埋めた覚えはないから、さすがにそれは無いとは思うのだけど、ちょっともやしっぽい。

もしかして雑草?

という疑問もあるのだけど、次回持ち込んで確かめようにも...これちゃんと成長するの?
畑で生やす前にすでに水田と化してたけど、腐ってない?大丈夫?

などの疑問点は多々存在するものの、まぁ気楽に成長を待とうと思います。

もう一つの畑(ヘルシア)は水没してないけど芽が生えてない。
でも地面は湿ってるしなぁ。

うーん、違いはと言うと風が当たるかどうかかな?
それともこの水没が何かのキーワードになっているとか?

謎は尽きないけど、真偽を確かめるためにも無事に成長して欲しいものだ。

...というのが昨日書いた内容の話。
本日はというと、帰宅して覗いてみたらなんと芽が生えてた!!!

水田と化した畑(トムヤムクン味)も無事。
昨日までは何の反応も無かった畑(ヘルシア)の方も、カイワレ大根的な芽が出ている。

さすが関取、凄い生命力だな。

基本ほったらかしで大丈夫、という私の予想は今のところ成功と見ていいだろう。
ズボラじゃなくて狙いなんだからね!

イカになりたくない話

先日の朝。

寝ながら苦しそうに唸ってる相方にどうしたの?と声をかけてみた。
すると返ってきたのが「イカにはなりなくない~」という呻き声。

...あなた疲れてるのよ。

どうも彼女は変な夢を見ていたようです。
後で聞いてみたところ「イカにされて食べられそうになった」との話。
どういった経緯かはわかりませんが、無事で何よりです。

しかし気になるのがどう食べられそうになったのか。

刺身なら結構な恐怖ですよね。
まな板にドンと置かれて、いきなり皮をはがれて...ひぃぃぃぃ!!!!

ホイル焼きもなかなかのものです。
徐にアルミホイルの中に包まれ、いきなり加熱される。
言い方はアレですが、よく聞く「棺おけの中で生き返る話」に近いかもしれない。

あとはなんだろ?
イカスミスパゲッティとかはちょっと違いそうだしなぁ。
サキイカなんかは結構グロテスクで面白いかも。

しかしこうして考えてみると料理とはずいぶん残酷なものだね。

美味しく食べれたほうがイカも喜ぶという話も一理あるのだけど、それは捕食する側の意見。
食われるほうにしたらマグロに噛み付かれても、丘で刺身にされても大差ないでしょう。

ただ料理されるにしてもバクテリアに分解されるにしても死んだら一緒か。
そう言えばイカの魂っていうのがあれば、次はどこの世界へ向かうんでしょうね?

イカはイカなりに、イカとしての天国でもあるのでしょうか。

2013年5月31日金曜日

目玉焼き

私は重度ではないけど、卵アレルギーです。

...という前提での話になるんだけど、私は料理としての目玉焼きが苦手なのですよ。
だから朝食につきものの目玉焼きオンリー、もしくはベーコンエッグ的なものが現れると非常に凹む。
なので父方の祖父の家に行った時はいつも朝ごはんに困っていました。

祖父はハイカラな人で、朝は洋食。
しかもナイフとフォークを器用に使って食べるのが決まりでした。
横には当時なじみの無かった紅茶がありましたね。

目玉焼きはサニーサイドアップ(片面焼き)で半熟だったかな?
それに塩と胡椒をかけて食べてたような記憶があります。

祖父の目玉焼きは見てると美味しそうでした。
ただ実際食べると、やはり卵アレルギーの影響なのか、あの暖かくなった液状の黄身を食べると吐きたくなる。
なので確かいつも白身のみを、ほんのちょこっと貰っていました。

対して父は醤油派。
サニーサイドアップと半熟は同じなんですが、醤油をかけて食べる。
TKG(卵かけごはん)を考えても黄身を食べるなら確かにこれはあってるかもしれない。

疑問なのが、淡白な白身に醤油ってどうなんだろ?
私は味的に苦手でした。

母はソース派で両面、固め焼きです。
パッと見「お好み焼きか?」ってくらいしっかり焼きこみます。
ひっくり返すときに黄身が潰れて白身と差が無くなるため、ソースが調度いい味付けになります。

が...逆を言うとソースの味しかしないような...?
ちなみにこれだと辛うじて食べることが出来るんですが、まあ無理はしません。

そう言えば相方はどんな食べ方するのだろう。
多分食べられない私に遠慮して、目玉焼き食べてないと思うんですよね。

ところで不思議なんだけど、そんな苦手な目玉焼きもハンバーグやカレーと一緒なら食べれるんですよね。
多分黄身の存在感がグンッと下がってくれるからじゃないかと思います。

言い方は悪いけど「部品」としてなら体も抵抗が少ないみたいですね。

だから目玉焼きを食べるのに何をかける?と言う質問に対する私の答えはカレーが正解になりそうです。
でもカレーを食べるなら目玉焼きは別にいらないから、やっぱり滅多には食べないよね。

いつかカレーほど大袈裟にならない目玉焼きの友を探して...いや、アレルギー出るからダメだな。

そう言えば他にもケチャップやマヨネーズ、味噌なんかの意見もあるようですね。
これらを踏まえると要するに「塩分が足りてない食べ物」となるんでしょうか。

結局みんなが欲しいのは塩なのかもしれません。


ちょっとした反省

そう言えば先日のARTOROでの行動でちょっとした反省点を思い出した。
http://toro-museumshop.jp/artoro

葉っぱを取るときの出来事。
私は木に登って採ったのだけど、それではない。

こっちの葉っぱが大きいよ!

という事務員さんの言葉に動き出して、葉っぱを採りなおした。
そのときに小学生かな?の女の子2人にそれをあげてしまったのだ。

やさしいね!

みたいな発言が外からあったんだけど、正直「しまった...」と思った。
これは参加型のイベントであって、その作業に触れることが勉強であり収穫。
だから畑からの粘土の採取だって自分たちでやっているわけだ。

こうして私が「採ってあげてしまう」ことで、彼女たちのチャンスを潰してしまうことになる。
特に葉っぱは目の前の高さにあったのだから私がやる意味がない。

なので自然や歴史、知識と触れ合う意味のある体験を1つ奪ってしまったため、現在非常に反省をしている。

2013年5月30日木曜日

セパタクローと私。

世の中は基本的に自分と関係が無い世界で出来上がっていると思う。

自分と関係のない人が自分と関係ないことを起こし、自分が関わる前にいつの間にか終わっている。
普通に生きていればこれが99%以上を占めているんじゃないだろうか。

だから自分が目にするのは1%に満たない程度。
その中で喜んだり、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりする。

凄く広い目で見ると、感情とはなんか不毛だ。

題名に出てきたセパタクローも99%以上のうちの1つ。
全くもって自分と接点が無いし、多分今後生きていてもお互いに何も影響しない関係だと思う。

勝っても負けても私には関係ないし、笑っても泣いてもセパタクローには影響が無い。

だけどこの同じ地球に、同じ世界に、同じアジアに、同じように生きている。
そこで私と同じように喜んだり、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりしている人が居る。

接点が何一つないのに自分と同じ、不毛な感情が生まれては消えている。
個々を狭い目で見ると、感情とはなんか不思議だ。

そして、そう言う意味では多分世の中のほぼ100%は私と同じ人間なんだろう。

そんな同じ人間が同じ人間と競り合う、セパタクローという競技。
多分一生見ることはないが、多分一生忘れない存在だ。

2013年5月29日水曜日

学Q委員

初めて手を挙げたのは小学校の低学年のときかな?

学級委員、場所によってはクラス委員を決める話でした。
でも先生に「誰かやりたい人!」と言われるも、誰も手を挙げない。

結局そのまま10分間くらい決まらなかったような覚えがある。
詳しくは覚えてないんだけど、次に「この人なら!って人いる?」と聞かれた。

そうなると人気投票になってしまう。
いや、この場合は押し付ける目的だから不人気投票か?

当然クラスの中で「お前やれよ!やだよ!」の嫌な連鎖が始まる。
このままでは収拾がつかないと考えた私少年は1つの作戦を考えてみた。

当時は...というか今でもそうだけど、私は頼りにならない。
そのころから既にみんなはそれを知っている。

そんな奴がクラスの代表になったらどんな混乱が待っているかわからないだろう。

なら責任感のある人が続いて手を挙げて決選投票になるはず...
とまで細かいこと考えてませんで、なんとなく「焦らせよう」と思って手を挙げたわけです。

「じゃぁ僕やります!」

で、みんな案の定焦ったみたいなんですよ。
その後はトントン拍子に手を挙げ、決選投票になって落選。
私の計画通りになったわけです。

今考えるとなんかダチョウ倶楽部さんのネタみたいですね。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=QOmoHwV5xnE

しかし非常に失礼な話でもあるんですよ。
みんなやりたくない!って主張してるから「じゃぁやるよ」って言ったら「お前にだけは!!!」って。
我ながら、幼少期からどれだけ頼りない人間なんだと、若干凹みました。

でもまあ思い通り行ったから良いかな。

学級委員の話はこれから6年生までずっとこの方式で行きました。
なのでしばらくは採決に苦労した覚えがないですね。

いやぁ、人望ないなー。

しかし6年生の1学期に、担任の発言により問題が発生しました。
実はその先生、3年、5年、6年と延べ3年間私の担任を受け持ってくれたんですよね。
ただ非常に相性の悪いというか、かなり辛い思い出がある先生です。

で、その先生。

最早恒例となった私の心理作戦を見抜いたのか、空気が読めなかったのか。
手を挙げた私に向かって言い放ちました。

いつもそんなにやりたいんならやらしてあげるよ。

低学年からコツコツと6年間手を挙げ続けて。
挙げ続けて、挙げ続けて、挙げ続けても選ばれない可愛そうな子はついに学級委員となったとさ。

めでたしめでたし...じゃねぇってばよ!

ということで、最後の最後で面倒くさい仕事を実際にやる羽目になったわけです。
当然のごとくミスは連発、間違いは続出。

怒られるネタになる、殴られるネタになる、槍玉に上がる。
もう踏んだり蹴ったりな日々が待っていました。

挙句の果てに剣道部の主将まで選ばれてるんだから不思議な年でした。
まあそちらの方は涙が出るほど光栄だったけどね。

この幼少の時点で代表なんてやる人間性でもないし、なれるような器もないのがよくわかりました。

ただそれ以上によく理解できたのは「心理戦は勝てる勝負にのみ行え」と言うこと。
そして心理戦は惰性で続けるな、ということ。

うーん、色んな意味で良い勉強になりました。

マカ不思議。

1年ほど前だったかな?
コンビニでマカの元気(明治)という飲み物を見かけました。

そう言えば一時期流行ったような記憶が?

で、思い返してみると私の記憶にあるのがグレートマカ。
そう言えば一時期全日本の武藤さんがblogで推してたなぁ...
この動画は見たことないけどね。

置いてあったのが栄養剤のコーナー。

恐らく滋養強壮の栄養補給に的な、若干ソフトな感じじゃないかな。
ということで丁度体に疲れが溜まっていたので購入してみました。






するとどうでしょう。

みるみるうちに眠くなり、目がトローンとしてきます。
目覚ましのために買ったはずなのに、これじゃ閉店間際だよ!

しかし飲んじゃったものどうしようもない。
なんとかがんばって目を開き、帰宅と同時に寝床へと倒れこみました。
その時は寝ながら「多分余程疲れていたのだろう」と思いました。

でも心に引っかかるものがあったので、また後日に。
今度は体力に比較的余裕があるときに試してみました。

結果、またもや閉店モード。何故!?

他にも数回、例えば1日2本とか連日とかやってみましたが結果は同じ。
常に目が開かないレベルで眠くなってしまうんですよね。

私の体に合わないんだろうか?
でも目が覚めたときはスッキリしてるしな...

今度はコンビニではなく薬屋で。
日中に、違うマカ製品を飲んでみることにしました。

メーカーはわからないけど、明治のマカよりちょっとお値段が高かったです。
http://product.rakuten.co.jp/product/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E7%B5%B6%E5%80%AB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%82%AB+50mL/db876d98f0e2894a1d5b76d809256393/

結果、やはり眠い。

うーん...体質なんでしょうか?
どうもマカを飲むと体が眠りモードに入るようです。
しかしWikipediaで調べてみたところではそう言う症例の話は出ていない。

やはり私だけなのかもしれない。

でも良く眠れるし、寝起きがとても良い。
なので症状が違えど、体の回復力は上がってるみたいだから気にしなくて良いのかな?

とりあえずまた別のものを試して見ることにしました。
今度はオリヒロさんから出ている
http://maca.supples.jp/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%AD%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE/%E7%94%B7%E3%81%A8%E5%A5%B3%E3%81%AE%E6%A1%B6%E7%8B%AD%E9%96%93%E3%80%80%E3%81%A8%E3%81%A9%E3%82%81%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%82%AB%E5%B0%86%E8%BB%8D/index.html

しかし精力剤系ってどうしてこう面白い売り文句が多いんでしょうね。
箱に「男と女の桶狭間」って書いてあるけど、勢いは伝わってくるんだけど意味がわからない。
ちなみに私はこういう変な表現が大好きです。

今度は寝る前に飲んでみたところ、グッスリ。
やはりマカは私にとって安眠促進剤という感じなんでしょうか。

最後にこれを購入してきました。
メーカーはよくわからないし、まだ試していませんが名前が良いよな...
http://www.idrugstore.com/product/275987

イクゼヨby龍馬

やはり意味がわからないけど勢いだけがグイグイ伝わってくる。
龍馬って...坂本龍馬なのかな?

目が覚めたら顔がタケダテツヤさんみたいになってたらどうしよう...

2013年5月28日火曜日

ウィーンへ行って食べたものはみんな妙に固かった。

パンもそう、肉もそう、ケーキもそう。
だけど不思議だったのが噛んでても飽きない。
私にはこれが凄く不思議だった。

というのも日本食。
主に米に関して言うと、噛んでいると気持ち悪くなってしまうからだ。

もしかしたら本当の美味しさに触れてないからかもしれないけど、私はどうも苦手。
なので、どうしても少なく噛んで直ぐに飲み込もうとしてしまう。

主食で比べるとしたらパンになるのだろうか?
ではパンはどうだったかというと、噛んでても別に問題はなかった。

ホントに小さなことだけど、私にはこれが凄く不思議に感じた。

米が苦手な理由はある程度わかっている。
私は「おかゆ」が苦手なのだよ...

小さなころは病院生活が多く、よく病院食を食べていた。

当時の病院食の主力と言えば重湯やお粥などの「溶けた米製品」だ。
それらとあまりに多く接していたため、食べると具合が悪く感じられるようになってしまった。

この減少が口の中で起きているのだろう。
だから良く噛むことで米が徐々にお粥状になっていくのが耐えられない...

主食ということを考えると随分と厄介なパブロフの犬だ。

そう言えばパンと米とを比較したときに主食としても大きな違いがある。
前者は練り物を加工したもので、後者はそのままを加工したもの。

これは鰯で言うとツミレと刺身くらい別の物なのだと思う。

だから咀嚼についても理屈に若干の違いが出てくる。

パンは小麦を一度粉にしている。
ようは口の中で行う咀嚼の「磨り潰す」作業を予め行っているのかもしれない。
だから実際には噛み砕くというより唾液と混ぜ合わせる作業になる。

逆に米の咀嚼は口の中での粉砕作業。
磨り潰しながら唾液と混ぜ合わせるという2つの工程を同時に行っている。

これを踏まえると「米を炊く」というのはこの作業の効率化から始まったのかもしれない。
味や栄養という側面からも考えられるけれど、まずは柔らかく、摂取しやすくすることが必須になる。

またこの理屈とナイフやフォーク、箸を使って魚や肉を解すのも同じかもしれない。

西洋食と和食で大きく違うのはその破壊力だろうか。
ナイフやフォークであれば両手で食材を分解することが出来るためある程度固くても成立してしまう。

箸の場合、片手のみを使うためナイフやフォークほど力がかけられない。
その上咀嚼における仕事量が多いため、回数を減らす必要があったのかもしれない。
そのため、食品を柔らかくするようになったのだろうか。

また調理によって味付けが濃く、ハッキリしたものになったため、長時間の咀嚼に適さなくなったように感じる。
西洋食で言えばハンバーガーやサンドイッチなど、ファーストフードに当たる食事にはこの傾向が強い。

なので忙しいのも理由にあるけれど、日本人の食事時間が短くなるのは必然的だったのかもしれない。

逆に西洋食は行動を分担して、より咀嚼しやすくするため固さが残った。
咀嚼を長く行うために味を薄くした結果、素材の個性が比較的バラバラに存在している。

それを基本にしたため、交易が進んだ今でこそ美味しい料理が食べられる。
しかし、もしかすると香辛料などが手に入りやすくなるまでは大変だったかもしれない。

なるほど、だったらそれが金と同じ価値があったことも頷ける。

もしかすると「美味いものを食わせろ」という理由で世界中を蹂躙していたのかもしれない。
被害者の視点から見れば非常に迷惑な話だが、加害者もまた必死だったのだろう。

という話を朝食のときに考え、1人で納得をしていた。

ご飯をゆっくり食べられたからこそ、感じることが出来た話なのだろうか。
詳しくはわからないが、どちらにせよ、食事というのは文化・文明の結晶とも言える。

ゆっくりと自然に行いたいものだ。

原始欲と発電

2011年3月11日14時46分18秒、東日本大震災が発生。
日本は揺れた。

それからしばらくして福島第一原発の事故が確認された。
もしかするとそれは地震や津波よりも「大きな揺れ」だったのかもしれない。
安全という神話が根底から崩壊するほどに。

あれから2年経った2013年の現在。
日本で動いてる原発はほんの一握りとなり、多くの施設は停止している。

多くの人が一夜にして「原子力とは危険である」という認識に変化していった。
現在は原子力を巡って幾つかの派閥が別れている。

・それでも原子力発電所は必要だという推進派。

・危険は理解できるが現時点では必要であるという容認派。

・危険だから停止すべきであるという否定派。

私の意見は容認派に含まれると思う。
というのも正直言った話、代わりが見つからないのだ。

よく話題に出るソーラーや風力などはどうか?

所謂「再生可能エネルギー」を推す動きもあるけど、それができるなら最初からやっている。
それに海外ではどうかわからないが、少なくとも日本では天候に左右されるため出力が安定しない。
なのでそれらはあくまで電源の補助と考えるのが妥当だと思う。

現在の主力である火力は?

エネルギーコストがかかるのと環境への影響が大きい点は忘れてはいけない。
そもそも原子力が(名目的にも)推奨されたのは外部環境への影響が少ないからだったと思う。

原子力も昔は「魔法の技術」だったのだ。

オール電化の考えも原子力の安定供給があって初めて成り立つ。
火力はピークに合わせて調節をするが、原子力は稼動し始めれば一定の出力を保てると聞いたことがある。
そのため消費の少ない夜間はただ電気を作って捨ててるだけの状態になる。

それを活用したのがオール電化...という話らしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%9B%BB%E5%8C%96%E4%BD%8F%E5%AE%85

確かに昼間使うエネルギーを夜間に安く賄えれば消費者も得だ。
電気会社としても収益ゼロだったものが一定の価格で販売できるから利がある。

珍しくどちらにも非がないWin-Winの関係という状態。
ただそれを推進した結果が現状と考えると、なんだか複雑になってしまう。

実際原子力の安定供給により一層の工業化の推進、発展が進んだことは間違いない。
また電気自動車や使われてるバッテリーなどの新規分野の開発への影響も大きいと思う。

だから以前から危険性自体は指摘されていたが、時代もその発達を望んでいたと考えるのが妥当だろう。

現在は急にブレーキがかかってしまった格好になっている。
特に極端な否定派は「原子力のない時代に戻りたい」という意見があるようだ。
酷い話だと電気エネルギー自体を否定する考え方になる。

原始欲、とでも言えば良いだろうか?

それ自体は理解できるから否定しない。
実際私も先日やった土器作りで「原始の生活」に興味を持ったからね。
ただ実際の問題として考えるとそれを推奨するのは難しいと思う。

もしそれを進めるなら少しずつ、人に不要なものを取り外していく必要がある。
それにはシンプルに生きれるように、生活とは何か?という概念から考えていかなくてはいけない。

よくミツバチが居なければ人類は4年もたないという話を聞く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E7%BE%A4%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

電気も彼らと同じで、存在をゼロにしてしまえばそれを根底とした全てが崩れてしまう。
だからあまり極端な方向に走ってしまうのは良くないのだけど、それを行わせてしまう恐怖感というのがあるのも理解できる。

遥か先の遠い目で見れば歴史の転換点に居ることは間違いないと思う。
だからこそ焦らず、騒ぎすぎず、冷静な目で向き合う必要がある。

原子力はもう「魔法の技術」ではないのだから。

2013年5月27日月曜日

刺身

スーパーで刺身を見ながら考える。
この刺身は養殖か?それとも天然か?

同じ魚だけど、二つの違い、差ってものすごいと思う。

前者は工業化されて生産されたもの。
豚や牛などの家畜、雪国まいたけやホクトの農産品と同じと考えるとわかりやすいかもしれない。

ようは人間によって意図して作られたものだ。
しかしこれを工場での生産品と置き換えるとどうだろう。
電池やテレビと同じように加工された刺身か...

なんかちょっと食べたくなくなるような気がするね。

後者は技術的には近代化されているものの狩猟と似てる。
人間が太古の昔からやっていることで、はじめ人間ギャートルズでいうマンモス狩りと同じかもしれない。
http://www.gyatoruzu.net/(作者のサイト)

こうして考えると方や先進化した工業。
方や古代からの伝統と属するジャンルや系譜が同じものじゃないってわかる。

だからもし同じ種族の魚だとしても、生まれた基準から環境まで全てが違うんだね。

じゃぁもし逆に漁業の家畜化が完了していて、狩猟が今の漁業のようにハイテク化したらどうなってたか?
陸上兵器の王様である戦車は野生の牛を狩るために、最新のミサイル防衛システムは鴨を撃ち落すために使われてたかもしれない。

まずありえない話だけど、そうやって考えてみるとちょっと面白いな。

貧乏人の税金

昨日、3,000円ほど納税してきました。
何かと言うと木村拓哉さんがやってる「1億円がたくさん当たる」CMでお馴染みのドリームジャンボ。
http://dream2013.takarakuji-official.jp/jumbo.html

そう、宝くじですね。

聞いた話によると宝くじは「貧乏人の税金」らしいです。
この例えを知ったときに腹立つ!...わけではなくて、むしろ良く出来てるなと感心しました。
だって、まさに的を射た表現ですよ。

例えば1億円が欲しい。

ある程度誰でもそう思うだろうけど、一定以上の金持ち。
例えばビルゲイツ並の人からすれば別に無理しなくても稼げる額だから無理してでも欲しいとは思わない。
逆に私のような貧民層からすると喉から手が出るほど欲しい。

だから小額のリスクでビッグチャンスが狙える宝くじというのは非常に魅力的。
しかし3,000円を消費税と換算すると、5%の内税だから60,000円消費したこととイコールになる。

でも手元には商品は残らないし、あっても末等の300円の引換券だけ。
違う表現に変えれば3,000円で300円のチケットを購入しているとも言えるかもしれない。

そりゃ現実的な金持ちからすれば魅力ないよね。

しかし、それでも私は欲しいのだ!
それだけあれば、ある程度やりたいことが出来る...はず?だから。

人は夢を見る生き物です。

2013年5月26日日曜日

ARTORO参加記録 第一回目 宿題編その1

ARTOROの第一回で宿題になった米作り。
http://toro-museumshop.jp/artoro

と言ってもそれほど厳密じゃなく、どうやったら発芽するの?というのを実験する宿題だ。
なので課題と言うより、夏休みの自由研究に近いかもしれない。

米は赤米、黒米、もち米とうるち米の中からの選択だった。
名前が気に入ったので私は関取という名前のうるち米にすることにした。
だってなんか強そうじゃん?

この米は100年ほど前は普通に食べられていたらしい。
今でこそコシヒカリが大正義になって、日本全国で作られているがその前の世代は関取だったとの話。

当時の寿司屋では関取が良く握られていたそうだ。
それが今ではこういう「宿題」でしか接点がないような米になっているのが不思議だね。

芸能界で言うとAKBに対するモーニング娘。
御三家と新御三家、タノキントリオみたいにブームで塗り替えられたのかな?

そう言えば今やコシヒカリが君臨している米業界だけど、昔はササニシキとの熾烈な争いがあった覚えがある。
ただ面白いもので、炊飯ジャーで炊いたときにコシヒカリの方が美味しかったから、一気に勝敗がついたという話を聞いたことがある。
どちらかというと芸能界と言うよりビデオテープのベータとVHSの関係みたいだね。

ちなみに個人的にアキタコマチが結構好きで、よく食べていた。
どうも私は昔からちょっと横道が好きな天邪鬼だったようだ。



ところで今回の課題を聞いたときに一つだけルールを決めたことがある。
それは「最初の数粒は一切調べず、思いつきでやってみる」ことに。

google先生がいるから調べればそれなりのものが出てくるけど、古代の時代にそんなのはない。
恐らくと言うか、きっとと言うか、間違いなく手探りで彼らはやっていたはず。

逆を言うと「手探りでなんとか出来なければ普及しないだろう」とも考えられる。
だって育てるのが難しくて一苦労掛かるんです、っていうものが全国に広まるだろうか?

それにただでさえ日本は天候変化も非常に多いわけで、発芽後に自然と難易度は上がってくる。
関取って名前も「倒れない稲」として授かった名前なら根がそれなりに強いだろうし、思いを込められるだけのことはあるはず。

じゃぁちょっと凝らないで、いつものように横道からスタートしてみようかな、というのが今回の趣旨だ。
農家の人からすると「バカにするな!」と言われてしまいそうなセットではあるのだけど。

ちなみに左側の赤いのが日清のカップヌードル、トムヤムクン味。
http://www.cupnoodle.jp/(サイトには無かった)

右側の青いのが花王のヘルシアウォーター。

カップヌードルのほうは間口が広く、乾燥しやすい。
パッケージも紙っぽいもので薄いため、外気温の影響を受けやすい「熱しやすく冷めやすい」土壌。
どちらかと言うと山間部や北日本に近い状態かもしれない。

逆にヘルシアは空気との触れ合いが少ないため、水は少なくて良い。
ペットボトルは比較的分厚いから日中の熱を溜め込みやすい、温暖湿潤な土壌になる。
これは南日本の海側、米があまり得意でない地方に近い状態かもしれない。

...やる気なさそうで意外と考えてるでしょ?

ということでまずは1週間、お試ししてみようと思う。
どれくらいで発芽するかというのも調べてないくらいなので、正直ドキドキだ。
けど面白い結果になると良いな!と、淡い期待してスタートしてみよう。

お楽しみは、これからだ!

パンツの有り難味

年末だったかな?
テレビでビートたけしさんがこんなことを言っていた。

なんでパンツを有難がるのか?
大事なのはその中身のほうだろう!

嗚呼、確かに。

...と納得できるのだけど、同時に「何故パンツを有難がるのか?」という疑問が生まれた。
考えてみると凄く不思議な価値観だ。

女性が下着を身に着けるようになったのは、昭和初期。
東京にあった白木屋デパートの大火災が切欠と聞いている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B1%8B_(%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88)

火災が起きたときにハシゴ車で救助する時、当時の女性が下着を付けていないことから恥ずかしがり、救助が遅れた。
それがニュースになり、下着(パンツ)を身に付けるようになった...というなんともゴシップ風の話だ。
もちろん事実無根という話もあるようなので「これが理由」と断定できない。

でも今回は、もしそのエピソードが本当なら?という仮定で話を進めてみよう。

下着のパンツは男女問わず性器を隠すものだ。
だからたけしさんのいう大切な中身というのはその性器ということになる。

白木屋の一件では中身の露出が問題になったからパンツで保護されることが推奨された。
逆に考えると「パンツは見られても良い様に広まった」ということでもある。

なのでパンツが見えて恥ずかしいと感じるのは本来、とても不思議な感覚なんじゃないだろうか?

そう言えば欧米人は確か下着を有難がる文化はないと聞いたことがある。
実際にどうなのかを良く知らないものの、確かに下着ドロボー的な話を聞いたことがない。
ググって見た限りでは、確かに日本的な犯行らしい。

うーん...何故だろう。
だってそこには「中身」がないんだよ?

と考えたところで、ふと、ある出来事が思い浮かんだ。
それは昔、母が良くお歳暮とかで貰ったものを綺麗に、大切に開けているシーン。
不思議だったので理由を聞いてみると、こういう答えが返ってきた。

包み紙も後で使えるし、大切なのよ。

あぁ...もしかしたらこれかもしれない。
外国のドラマとか映画ではプレゼントの袋はビリビリ破いていた。
日本でそれを撮るとすると、余程切羽詰ったシーンになるんじゃないだろうか。

だとすれば日本人は包み紙を大切にする。
もっと強い言い方をすると中身ではない、そこに価値を見出す人種ということになる。
当然、中身のないパンツという包み紙に対しても興味を持つだろう。

なるほど、パンツを有難がるのは高級な包み紙を有難がるメンタリティと同じだったのか。
そう思ったとき、自分の中で凄く腑に落ちた気がする。

だからもし街中で目が自然と追ってしまっても、それは文化的に間違っていないのだ。
むしろしっかりと教育をされていると考えても良い訳で、日本人的には胸を張って誇るべきことかもしれない。

ただ私はやっぱり中身の方が良いなと思うけど。

2013年5月25日土曜日

トニックシャンプーの思い出

小学生のころ、家が凄く暑かった。

某県、某市、某所の住宅はコンクリートの2階建て。
庭はない代わりに凄く大きなベランダがあり、そこではキャッチボールが出来たくらい。
それからバーベキューやら花火やら色んな遊びをやっていた。

しかし、その自由さと引き換えるような照り返しの強さ。
確かその「コンクリートの塊」は西側にあったため、夜も遅くまでホッカホカだった覚えがある。

時は夏休み。

夏休みと言えば部活や宿題もあったが、それらはいつも通りといえばいつも通り。
いつもの学校と違うところを挙げるならやはり家のお手伝いだろう。

ただ闇雲にさあ手伝うか!と言っても暑さでダレてしまう。
なので思いついたのが実益を兼ねることだ。
手伝いつつ暑さをどうにかするには...

そう、風呂掃除だ。

風呂を掃除すれば不可抗力で水が浴びれる。

当時はガスの湯沸しでシャワーというものがない。
だから捻れば結構冷たい真水がでてくるため、風呂掃除の仕上げはそれでやることになる。
スポンジで擦ったアワアワを水でビシャーっと蹴散らす。

湯船が狭かったため、内側で打てば当然自分の体に跳ね返りが来る。
それはもうビッシャビッシャになるくらい。

ならばやるしかない!と、毎年のように風呂掃除をしていました。

しかしそれでも嫌になるくらいの暑さがたまにあるんです。
そう言うときは打ち水をすると良いと聞いたためやったこともあるけど、逆効果。
夕日で熱された水蒸気が全て家の中に入ってくる。

だから暑くて暑くてたまらない。
きっと肉まんはこんな気持ちなんでしょう。

もう頭がおかしくなる!

しかしそこで思いついた私少年。
たまたまテレビを見ていたらヘアトニックシャンプーのCMが流れてたのですよ。

そう言えば風呂場に同じのがあったような...?

確認したところ、在庫アリ。
じゃぁこれと風呂掃除と組み合わせれば良いんじゃないか!
半ば興奮気味に、キラキラした瞳でヘアトニックシャンプーを見つめる少年。

しかし先述の通り、うちにはシャワーがない。
だから軽く、さらっと汗を流すもしくはシャンプーをする程度は不可能となる。

お湯を手に入れるには風呂を沸かすしかない。
だけどお湯を入れると当然暑い。
暑いから却下だ!

しかもどうせ風呂掃除で水浸しになるわけだから、ここは一つ容赦なくやってしまったらどうだろう。

私少年は昔から思いついたら即実行するタイプ。
で、当然やってから後悔するタイプ。

その時やったのは全裸で風呂を掃除し、水浴びをしつつヘアトニックシャンプーでした。
しかも止めとけば良いのにシャンプーで体まで洗っちゃって。

当時のヘアトニックシャンプーって基本大人用なんですよね。
子供の柔肌には刺激が強すぎるし、何より頭を洗う用で体を洗って良いもんじゃない。
それに多分頭皮って意外と「防御力」が高いので「涼しい」と感じるんでしょう。

結果、彼の体が得たものは、涼しさじゃなくて激痛でした。

しかも考えてみたらお尻とか大事なアソコとかって粘膜なんですよ。
もっと強く言えば内臓です、内臓。

だからヘアトニックシャンプーが「目に入った」のと同じレベルで痛い。
しかも流すのにお湯を用意しておけばまだ良いものの、出てくるのは結構冷たい真水のみ。
暑い、暑い、暑いから痛い、寒い、冷たいの三重苦へと一気に移行しました。

当然、風邪を引きます。

今考えれば「アホだなぁ」と思いますが、多分当時は同じことやった人がいたんでしょうね。
その後、数年たってからシーブリーズからボディーソープが売りに出されました。
http://www.seabreezeweb.com/ (残念ながらサイトが見難い)

夏の暑い日。
家に帰ってサクセスシャンプーを使う度にあの日の私少年の奇行を思い出します。
http://www.kao.co.jp/success/

しかし...今とあまり変わってないな。

2013年5月24日金曜日

野球と私。

小さなころ、物心ついたころにはタテジマのユニフォームを着てはしゃいでいた。

そしてバースに掛布に岡田のバックスクリーン3連発!
多分、私の持ってる野球の記憶で一番古いのが「阪神タイガース日本一」だと思う。

そのころは父から「野球はタイガース」と教育されていた。
ただ実際のところはというと見てるのはほぼ巨人戦というか、阪神vs巨人ばかり。
理由は言うまでもなく「それしかやっていなかったから」である。

当時はBSやスカパーはもちろん、パソコンだって見たことないような時代。
ウルトラマンに出てくる研究者だって凄くデカイ謎のテープレコーダーみたいのを使っていた。

だから必然的に情報はテレビで流れてくるものか、新聞だけになる。

なのでバックスクリーン3連発は巨人戦だからインパクトに残ったのだろう。
おかげでうっかり「阪神タイガースは最強の名門」と思い込んでしまった時期がある。

確かに西武ライオンズを倒しての日本一も興奮した。
それ以降は優勝の「ゆ」の字も出てこなくなるが、西武を倒せたのは阪神だけ!という幻想が生き残ってしまった。

今考えると、勝てないのは伝統なのだな...伝統だから幻想を求めたのだろうな...

しばらくしてから他のファンになってみたいという理由で「期限付き移籍」を行った。
ファンとしてのFA宣言みたいなものかもしれない。

無論のこと、父はガッカリしていたと思う。

過去にファンになったのは広島→中日→横浜→ヤクルト。
なんでセリーグだけ、しかも巨人以外なの?と疑問に思われる人もいるかもしれない。

基本的にはただ...なんとなく嫌い?という漠然とした理由だったりする。

細かいことを言うと、いくつか出てくるんだけどね。

例えばアナウンサーが巨人応援ばっかりしてるから嫌とか。
ドラゴンボールや聖闘士星矢(アニメ)が巨人戦で潰れたから嫌いとか。
父の「巨人は敵だ」という教育が実を結んだとか。

桑田さんとか好きな選手は個々で居たんだけど、どうもファンという視線にはならなかった。

ちなみにパリーグはイチローが出てくるまで珍プレー好プレーでしか知らなかったからファンになりようがないのも仕方ないだろう。
でもその割りにロッテ時代の落合さんを知ってたんだから不思議だよな...

そうしたノマドを経て、現在は基本「ファンなし」で落ち着いている。
ただ父の影響かスカパーの影響か教育の賜物かはわからないけど、一番近いのは阪神タイガースかな。

今年は調子が良さそうだから、なんとか勝っていただきたいものだね!

2013年5月23日木曜日

飯とパン

H.I.S.で予約したウィーンの旅から早いもので2週間が経った。
http://www.his-j.com/

準備に半年じっくりかけたのに、終わってみれば一瞬。
全ては遠い日のように過ぎ去った...わけがなく。
私たち夫婦には、まるでアルマゲドンでも起きたかのようなインパクトが刻まれています。

いやぁ、凄かった!

ところで今回使用したのがオーストリア航空。

http://www.austrian.com/?cc=jp

サービスはもちろんのこと、何より内装がお洒落!
道中飛行機が揺れたのとエンジン音がうるさかったのを差し引いても満足できました。
機内食も美味しかったしね。

ところでこの機内食で少し驚いたことがあった。

往きの便ではよく聞く「ビーフorチキン?」という質問が。
私はチキン、奥さん(以降相方)はビーフを選んだのだけど、彼女のほうは牛丼だったのだ。
オーストリア料理を期待していたためか、ちょっとショックだったらしい。

それでも美味しかったらしい(私は牛が苦手なので食べてない)ので悪い話じゃない。
しかしそこで心に残ることがあったのだ。

それは...牛丼にもパンがつくこと。

あまり外国へ行くことがないので知らないのだけど、メイン食の後にパンを配っていた。
もちろんビーフとチキンの区別なく、食うか?いるか?っていう感じで配膳している。

日本人的に考えると「牛丼に何故パンが?」という感じ。
だって考えて見て欲しい。

例えば吉野家でパンが売ってたらおかしいでしょ?

飛行機の中だって例外じゃない。
感覚的に「牛丼に何故パンが!?」となるのも仕方ないだろう。

でももう1つの考えがある。

もし外食してリゾットを頼んでパンが出てきたらどうか。
恐らく「あぁ、パンがつくのね?」と受け入れてしまうような気がする。

じゃぁハンバーグならどうか?ラーメンだと?焼き鯖だと?
...と考えていくと、私はどうも米が主食かどうかを米の形態やおかずで判断してるようだ。
なので今回はたまたま牛丼だったからこの違和感を感じたということになる。

主食の場合だとパンがつくと変に感じるし、そうじゃなければ受け入れられる。

この感覚はパンが主食の国の人だとどうなのだろうね?
パスタだと...というか、パスタとパンが出てきたらどちらが主食になるんだろ。

多くの疑問が交差する中、やはり自分は日本人だなとつくづく感じたフライトだった。

歴史の面白味

先日のARTOROで「土いじり」を行った。
http://toro-museumshop.jp/artoro

土いじりと言うと、一般的には家庭菜園とかガーデニングかな?
しかしこれらは求める結果、出力されたものが野菜や植物や景観など別のもの。
今回やったのは土器作り?だからそれすらも土。

最初から最後まで全部、土の土いじり。

だからそれ自体「面白い」のは間違いないのだけど、それ以上に面白かったのが場所。
まさか登呂遺跡の中でこういうことをするとは夢にも思っていなかった。

だって昔は教科書に載っていたところ。

そんなところで土を穿り返したら普通なら怒られる。
だけど公然に胸を張ってそれが出来るんだから、それはとてつもなく凄いことだ。

文化や文明には必ず過去、歴史がある。
ある意味では自分たちが通ってきた道筋なんだけど、未来に居る自分たちからすると新鮮な発見。
だからもしかすると凄くフィクション性がある目線で接して良いのかもしれない。

だって誰一人だって真実を知らないわけだ!(暴言)

文献や状況、残された色々なものから言葉を拾い上げて、自分なりの物語を作ってみれば良い。
その中で「もしかしたらこうだったかも?」なんて、トンデモ理論だって生まれてくる。

確かフタバスズキリュウで日本の学説を覆したのは高校生だったはず。
だから一見「ねーよ!」と思うことでも、何かの切欠で後々何かがヒックリ返るかもしれない。

もちろんそこまでを求めるなら立証できればっていう条件はあるけど、考えることはきっと自由だ。
なので参加させて貰ってる以上、感想だけじゃなくて自分の考えを書いていかねば!って思う。

例えば変な話だけど、もしあの場でポンペイの街みたいになったとしよう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4

何百年か後に、次の世界の人間によって発見されるかもしれない。
そのときは私たちは土器を作っている姿で、みんな葉っぱのロクロを使っている。

彼らはきっと思うだろう。

恐らく古代人達は何千年もこうやって土器作りを継承していたのだろうって。
ある程度の文明が出来上がった後でも、こうして手作りしていたに違いないって。
だから彼らが登呂遺跡を復活させたとき、私たちの人形が体験コーナーの一角に並ぶのだ!

ホワイトボードで熱く説明する本原さん。
それを聞きながら捏ね続ける私たち、そしてそれを見守るARTOROの実行委員さん達。
もしかしたら取材しにきた新聞記者さんだって一緒かもしれない。

未来はいろんな意味で無限だ。

だから同じように、過去のことだっていろんな解釈をしていい。
そこに歴史の面白味っていうのがあるんじゃないかな、と私はコッソリ思っている。

2013年5月22日水曜日

kunst

芸術は爆発だ!

と、故 岡本太郎さんは言ってました。
私はそれをテレビで聞いてて「変なオッサンだなぁ」と思っていました。
まさかあんな凄い人だったとは露知らず!

でもまぁ、多分「変なオッサン」であったこと自体は事実でしょうね。

ところでゲイジュツとは何でしょうね。
昔から疑問に思ってることなんだけど、コレと言った答えがない。

いや、答えがないというか納得が行かない、腑に落ちないという方が正解か。

またARTと言うと余計にわからなくなる。

私は自慢じゃないが絵心も創作意欲もなんもない人。
内側がノープランで生き抜いてきてるようなタイプだからわかりっこないのかもしれない。
ただ先日のウィーン旅行で触れた”kunst”というものについては理解が出来たような気がする。

クンスト【(ドイツ)Kunst
---------------------------------------------------------------------
1 技巧。
2 芸術。美術。

ぎ‐こう〔‐カウ〕【技巧】
---------------------------------------------------------------------
技術上の工夫。特に、芸術の制作や表現における技術的な工夫。テクニック。
                                         <goo辞典参照>


普段目にしてるのは出力された先のもの。
基本的にはその結果を指してゲイジュツと言っているのだと思う。

内側から溢れるパッション的なものがない私にはそれくらいしか接点がない。
けど、やってる方としてはそれに向き合った過程、磨いた技術、思いついた発想など、多くを含めて見れるのかな?って。
多分...フットボールのファンとプレイヤーの目線が違うような感じだろうか。

だからそこに触れないとわからないのは仕方ないのかもしれない。

触れるって言っても方法はある。
見ること、調べること、そして実際に作ってみること。

だからウィーンに行ってその機会を作らなかった私にはわかりようがないよなぁ、って思いました。
うーん、頭と口先だけで生きてたらダメね(反省)。

でもこれまで「凄い!」って思ったこと。
それから「なんで?」って感じたことには理由があるのもわかった。

だからきっと、それを追えばいつか私にもわかるときが来るのかもしれない。
その日を信じて何かを追えれば良いなーと、なんとなく思う。

2013年5月21日火曜日

馬に乗る、ということ

昔から、世界的に乗馬っていうのがある。
けど、それを見ていていつも疑問を感じていました。

人は何故馬に乗るのか?

いや、理由は色々とあると思うんですよ。
例えば移動距離が広がったからとか共生(家畜化)が成功したからとか。

でもサルは自分の足で移動するし、鳥も翼を携えたわけですよ。
じゃぁ何故「人だけ」が別の生き物に手段を選んだんだろ?
これはやっぱり、非常に不思議な問題。

ただもし人が馬ほど速ければ、人は馬に乗っていないってことは言えると思う。

何故かと言えば人間って基本的に怠け者なんですよ。
文明や文化ってその結晶で、ご飯に困りたくなかったり面倒を無くそうとして変化させてきた。
だから人にとって楽な生活があれば、水が低きに向かうようにスーっと流れていく。

多分、馬に乗るようになったのだって同じ理由。
馬のほうが速いし、走るし、何より自分が疲れなくて済む。
疲れなくて済むってことは到着してから別のことが出来るということでもある。

もちろん、その結果抱えてしまった苦労とかもいっぱいあるけどね。
それでも人は本能で、前向きに怠ける特徴を持ってると思う。

でも考えてみると人がそうだから馬(車)にも乗れるし、鳥(飛行機)にも乗れるわけで。
もし勤勉に、変化した環境に順応しようと自分から動いていったらそうはならなかったはず。

だから私は面倒くさがりで良いんだ!(結論)

ということで座右の銘が「人が馬ほど速ければ、人は馬に乗らない」になったわけです。
めでたしめでたし。

2013年5月20日月曜日

ワイン

先日はオーストリアはウィーンへと新婚旅行へ行ってきた。

何故ウィーンか?というと色々とあるのだけど、それはまたいつか。
...とか言って忘れる気まぐれ屋タイプな私。

今回は帰国後の話。

あちらで飲み食いしたものが余程舌にあったのか、現在食べたくてしょうがない!飲みたくてしょうがない!って状態。

中でも一番「中毒症状」が出ているのが白ワインですね。
いやぁ...ワインがあんな美味い飲み物だって初めて知ったよ(失礼)。

人生を振り返るとワインにはまる時期ってのも間違いなくあった。
とは言え当時は「それくらいしか飲めなかった」というのもあるし、実際日本酒やウィスキーが飲めるようになってからは離れましたしね。
それからしばらくは目に入らなかったんだけど、今は「飲みてぇ...飲みてぇ...」と彷徨えるゾンビのようになってしまった。

どうしてだろうか。

実はワインを美味しいと感じ始めたのはウィーンへ行く前のこと。
本原さんのお誘いで飲み会に参加させてもらったときです。

これ美味しいのよ!

と、ワインの瓶が出てくる。
そのときは正直「えー、ワイン?」という感じだったんですが、飲んでみると...あれ?美味い。
出してくれたのが美味しかったのか、舌が成長したのか、一週回ったのかは定かじゃないけど、すんなり受け入れられた。

ちなみにそのとき同時に乗り越えたのが茹で落花生だったりします。
こちらは「食わず苦手」だったのですが(そもそもピーナッツが苦手なので)。

そのときはもしかして酔ってたからかな?
雰囲気が良かったのかな?とか考えてたんですけど、あちらで飲んでみてわかりました。

ワインは美味いっすね!!(今更かよ)

ちなみに赤ワインは未だに少し苦手です。
これもそのうち克服できるんじゃないかと思ってるけど、まぁ自然の流れに任せましょう。
なので、最近はジャスコやカルディ等で眺める日が続いています。

...眺めてるだけだけど。
毎晩飲んだら破産しちゃいますからね。

ARTORO参加記録 第一回目土器作り その3

http://toro-museumshop.jp/artoro

粘土を作ってみる。

今回は特別な粘土を使わせてもらえた。
話によると、一応どこの土でも最終的には粘土状になるらしい。

小学生みたいな反応だが「へぇ~」と思った。

というか昨日(2013年5月19日)は完全に小学生に戻っていた。
粘土をこねるのもそのとき以来ぶりだし、土粘土というのは触ったことすらない。
しかも粘土を作るなんてことはやったこともなければ、これまでの人生で考えたことすらない。

触れるすべてが新発見!というのは先日のウィーン旅行に引き続いて。
うーむ、非常に希少で貴重な体験が続いているな。

で、粘土を作ってみる。

灰色の...灰?みたいな土に水を混ぜてこねる。
粘土になったものが指にまとわりつくのが気持ちよくて気持ち悪い、不思議な状態。
本原さんは「パン作りと同じ」と言っていたが、なるほど結果的に違えど他のものと過程は同じなのね。

こねる、水を足す、こねる、こねる、水を足す...と延々と続ける。

どこまでやって良いのかわからない。
...というか、どこまでもやっていけるような気がする。

もちろん「土と向き合う」というところまでは行ってないものの、この無限さは心に残った。
どこまでやって良いのかわからないからこそ、どこまでもやっていける。

陶芸家に限らず、物を作るの楽しみってこういうところかもしれない。

自分が納得するまで何度でもチャレンジが出来る。
触れていると少しずつ欲が出て、一歩一歩階段を上がっていく。
奥底からどんどん何か、変な汁というか波がドバドバ...なるほど、これは面白い。

器を作るときもそうだったけど、粘土を作るときに「止め」と言われてもみんな真面目に不真面目。
私を含めて手を止める人がほとんど居なかった。

終わってみれば閉館時間。
ということで簡単に後片付けをして、宿題を戴いてこの日は終わった。

なんだろう、第一回にして「この企画は面白い」と感じる。
同時にもしかすると昔の人達のほうが人生面白かっただろうな?とも思う。
色々と不安定で不便で、今から考えると凄く面倒くさいだろうけど、発見が凄く多い。

発見が多いってことは工夫が出来るってことでもある。
それは同時に自分が無限の中の一部として生きることかもしれない。

うーん、凄いね。

ARTORO参加記録 第一回目土器作り その2

http://toro-museumshop.jp/artoro

粘土を採取した後は葉っぱを採取する。

理由は本原さんのサイトにある動画を見ていたのでわかっていたのだけど、実際にそれを使うと、それまで考えていた以上に面白かった。
http://motoharareico.com/

天然のロクロは滑る滑る。

まぁそもそもロクロ自体、それほど使ったことはないので比較はできないのだけど。
ただそれにしても「確かにこうやって使ってたのかもな」と感じるほどには凄く使いやすかった。
粘土をコネながら本原さんから1つの疑問が出てきた。

昔は机がないと思うんだけど、どこでやってたんだろうね?

ああ、確かに机がない。
机の代わりになる場所っていうと、やっぱり地面の段差なのかな?

うーむ、非常に不思議である。

そう言えば縄文土器の時代って土にくぼみがあったような覚えがある。
家の中がへこんでいて、そこに挿して使っていたとか...

それじゃそこじゃないかな?というのが今のところの考えだ。

土器に合わせるように穴を掘っていたって最初は思っていた。
でもそれって面倒くさいよな?伝統なんて言葉がない時代にイチイチそんなことするかな?

動物というのは自分の体に適した、自分にとって合理的なことしかしない。
だから一見して彼らにとって面倒くさそうなことはしないし、環境変化に伴う必要性がないと動かないと思う。
人間もかつては動物に近い動物だったと考えると、面倒な路線は全て不正解な気がする。

となると、一回掘った穴にあわせて作るのが一番楽だろう。
もしかするとあれが人類としては最初の型(カタ)だったのかもしれない。

講習でも話題に出ていたのだけど、確かに縄文土器ってメラメラした見た目になっている。
それなら多分火の見える場所に穴があって、燃え上がる火を見て作ってたんじゃないかなという気がしてくる。

もしかして縄文人的にはスケッチだったりして?

でも...うーん、そうなるとどうやって器になっていったのかがわからないな。
くぼみを使うってことはその時点で既に「器」としての機能を理解して求めていたってことになるもんね。
その前を考えないと、どこでどうやってやってたかっていうのは出てこないと思う。

歴史を考えるって面白いけど難しい。
難しいけど面白い。

2013年5月19日日曜日

ARTORO参加記録 第一回目土器作り その1

http://toro-museumshop.jp/artoro
登呂遺跡の水田跡から粘土を採取する作業。

しかしながらこれがまた難しい。
粘土までは10センチほど掘り返す必要があって、土を除去するのに一苦労。
次に到達した粘土を穿り返すのにまた結構な力が要ることがわかった。

現代にはスコップがあって良かった!と思う反面、これがないときはどうやって取ってたのだろう?と小さな疑問。
私たちの近くで取ってた東京から来たという親子さんは鉄製のものが壊れていた。

当時は鉄器がまだないはず。
また青銅器も高価だったような記憶がある。

ってことはやっぱり木の農具を使ってたのか?

でもここで少し疑問がある。
木の農具を作るのって鉄や青銅ほどじゃないけど、結構大変な労力だ。

となると石だろうか?

土を掘り返すだけなら重量がある石は使えると思う。
けど相手が粘土の場合だと、逆に堅くなってしまうような気がする。
仕事の性質から考えると削り取る必要があるだろうから、石でやる性質の仕事なのだろうか。

うーむ。

そんなことを考えながらボーっと考えながら本原さんのオランダ紀行の話を聞いていると一つヒントがあった。
何かと言うと「レンガの土を二つの川が運んで来た」というお話だ。

水田には水路がつき物で、登呂遺跡にも当然それがある。
川がレンガの土を運んでくるのなら水路が運んできてもおかしくはない。
それにもし溜め池みたいなものがあれば底に沈殿するだろう。

当時は清掃があったかどうかわからないが、もしあったとしたら大量にかきだされる。
しかも柔らかい状態で、水で洗われたような綺麗な状態だ。

また当然晴れた日に清掃が行われるだろうからその場で太陽による自然乾燥が行われる。
乾燥した砂の横には溜め池や水路があり、豊富に水が手に入る状態だから、自然と粘土を作れる条件が揃う気がする。
しかも特に道具は必要ないし、柔らかい状態なら木の農機具や石器などでも十分成り立つ仕事だろう。

となると、やっぱり粘土は水路近辺で自然と生まれたものなのかな?と思う。
実際のところどうなのかはわからないが、考えるきっかけにはなりそうだ。